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太平洋戦争について Part 8

 ただし、日本の敗戦後、連合国の側としては、当時は、天皇教による日本人へのマインド・コントロールがあまりにも強かったために(当時は、天皇陛下万歳と言って、国民に自殺攻撃させられるような状況だったので)、その後、内戦や反乱を起こさずに、国際的にあまり危険のない民主制の国に、できるだけスムースに移行させるための政治的な妥協として、とりあえず、そうした国内の不満が起きないように天皇制の形式だけは存続させるが、そうした天皇に関わる政治権力、とりわけ軍事的な権力のようなものは根こそぎ取り上げる、というような戦後体制を敷くようになったのではないか、ということです。

 つまり、その時点において、当時の天皇や皇族関係者に対して、あまり大きな戦争責任を追求していると、当然、当時の軍部の最高のトップであった昭和天皇裕仁も処刑となり、天皇制も完全に廃止されてしまう可能性があったが、そうすると、その後は、当時の日本国内に大混乱が起こることが予想されたので(政治に不満のある人は、それを口実に次々と武装蜂起する可能性がありました)、それ以降、ある程度、国内が安定するまでは、政治家も役人も、それから、教育でもマスコミでも、またアメリカを初めとする連合国側の国々でも、戦前、戦中の軍部の人々の責任は追求するけれども、政治的な都合上、当時の天皇の政治責任は、原則、あまり深く追求しない、というような流れになっていったようなのです(あと、まだ当時は、天皇の影響力が大きかったので、連合国側としては、そうした体制にしておいた方が、占領下の統治と、かなり大きな日本全体の改革である民主化の行程がやりやすかったことがあげられます)。

 確かに戦後の日本は、民主制の国になったので、一人一人の国民が、日中戦争や太平洋戦争を、まるで自分の罪のように感じたり、戦争の悲惨さや犠牲者の辛さを伝え続けるような状況は、再び日本が不幸な戦争を繰り返さないためには、とても重要だったのかもしれないのですが、ただ、そうした状況は、日本に本当の意味での民主制が定着するまでの過渡的な政治判断であったようなところがあるのです。

 ですから、戦後70年近く経って、現在のように世界の代表的な民主主義国の一つになった日本では、もう少し冷静に、戦前、戦中の日本でも、当時の政治体制下ではあったけれども、常に政治はきっちり機能していたし、また、勝手に暴走する人や組織など一人もいなかった、つまり、もし勝手に暴走した行動をとったように見えた人や組織があったのであれば、そこには必ず、そうした行動を許可した人物がいたか、あるいは、影で、しっかり責任を持って、そうした行動を指示した人物がいた、ということを、ある程度、しっかり理解すべきなのではないか、ということなのです。

 この辺りの歴史認識に政治的なタブーやめちゃくちゃなところがあると、戦後、数十年も経ったのに、そうした不当などろどろとした戦争責任や罪悪感を押し付けられた多くの人々の中からは(特に少し前までは、まるで国民全体が悪かったような論調になっていたので・・・)、「いや、あれは絶対、正義の戦争だったんだ」、とか、「日本人は悪くない。すべて○○国が悪かったんだ」、とか、「自分達は、大変な被害者なんだ」、などと一生懸命、説明しようとする人々が次々と現れてくるようになったり、また、外国からも、「日本は、いまだに戦争責任を取っていない」、とか、「何か、ごまかしているんじゃないか」、とか、「なんで、こんな単純な事実を素直に認めようとしないんだ」、などというように、何かにつけては、ずっと批判されるような状況になりがちだったのではないか、ということなのです。

 つまり、戦後70年近く経った現在の日本の立場としては、当時の政治体制下での昭和天皇裕仁や、その周辺の皇族の人々の政治や軍事上の責任をしっかり明確にするようにすれば、「ここまでは、当時の誰それの政治判断だが、これに関しては、最終的には、当時の天皇、裕仁の政治上、軍事上の失敗である」、とか、「当時の日本では、天皇崇拝の教育やマスコミの統制が行われ、天皇を中心とする軍部が、特高や憲兵を使って、恐怖政治を敷いていたので、当時の日本の一般国民への政治責任は、なかなか問いがたい」、とか、「日中戦争の拡大の政治決定にも、真珠湾攻撃による太平洋戦争の開戦の政治決定にも、当時の日本国民の代表者は、一切参加していないので、当時の政治体制だと、当時の日本の政治と軍隊の最高責任者であった昭和天皇裕仁の責任になる」、とか、「当時の日本にも世界の国々にも、非常に善良で努力家で平和を心から願う、たくさんの人々がいたが、一部の心ない人々の傲慢さや間違いによって、そうした気持ちや行動が踏みにじられた面がある」、などというように、今日の国内外の多くの人々の目から見ても、それほど、めちゃくちゃな混乱や間違いや罪悪感を持つ必要のない、わりと素直で正直な平和観や戦争観が持てるようになるのではないか、ということなのです。

 

 戦後、70年近く経った現在の時点では、もう少し冷静に当時の状況を理解し直してみてもよいのではないでしょうか(参考1参考2参考3)。

 

Cecye(セスィエ)

2014年7月26日 2:54 PM, 歴史 / 軍事



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