二つめは、これは、少し変わった話なのですが、実は、彼らは、いっけん、そこそこ精妙できれいできっちりした印象の所を好んで、彼らの巣のような場所を作ると、そこを拠点にして、一人、また一人と、彼らの霊的な影響下に置いてゆくような作戦をとることが多いので、これは、少し変わった提案になるのですが、どんな学習や仕事であっても、きっちりやるべきことさえ、しっかりきっちりやっているのであれば、まるで機械やロボットのように無表情で堅苦しい形の学習や仕事はやめて、少しはユーモアが言えるくらいの心の余裕や、楽しい幸せな感覚や、その時々の状況に合わせて、機敏にテキパキと対応できるくらいの柔軟性や自立性を持つことが、とても大切になるのではないか、ということです。
三つめは、これは、多少言いづらいのですが、実は、彼らが最も得意としていることは、多くの人々に厳しい決まりを押し付けて、にっちもさっちも行かないような状況に追い込んでおいて、その上で、一部の人々の特権性や優越性をアピールして、社会の支配体制を築いてゆく、とか、逆に一部の非常に優秀な真面目な人々を、だんだん精神的に追いつめてゆくような作戦をとることが多いのです。
ですから、特に現在のような時期には、昔からの伝統や厳しい決まりのようなものは、あまり全面に押し出さずに、できるだけ多くの人々の仕事や生活の実態や本音に沿った形で、「これをされると、みんな本当に困るから、これだけは、絶対にやめてほしい」、とか、「これは、昔からの戒律や決まりとしては、悪いことなんだけど、現在だと時代の変化で、よく考えてみれば、一人一人の人が、ある程度、常識のラインを踏み外さずに、適当にうまくやってくれる範囲であれば、別に問題ないので、もう刑罰の対象にする必要はないのではないか」、とか、「そもそも、こんなもの誰も出来るはずないのに、なぜ、いまだに法律で罰することになっているんだろうか」(時々、訳の分からない古い法律が残っていることがあるのですが、闇の勢力的には、全然使われていなくても、文章で法律が残っていれば、多くの人々に対して、霊的(無意識的)に縛るようなことをしてきます)、とか、「こんなもの罰する暇があったら、多くの人々が、もっと豊かな社会になるような政治を実現した方が、よほど良いのではないか」、などというように、本当に多くの人々が困るようなことなら、きっちり厳しく取り締まって、罰するべきかもしれないが、よく考えてみれば、昔と違って、現代だと、結局、一番困ったり、苦しんだりしているのは、その当事者自身の方なのであって、別に周りの人々は、それほど大変な迷惑を被るわけでもない、というようなことに関しては、宗教的な戒律や国の法律を、ある程度、緩めたり、変更したりしてゆくようにする工夫が、とても大切になってくるのではないか、ということです。
Cecye(セスィエ)
2014年6月5日 9:03 PM, スピリチュアリズム、霊界 / ゼロ・ポイント以降の霊的な注意点について