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ゼロ・ポイント以降の霊的な注意点について Part 6

 五つめは、これは、客観的には、非常に不思議な話になるのですが、実は、人間の文明の発達の段階を見てゆくと、どこの国の人々も、少し前の時代の人々が、仕事や生活上、非常に大切にして、絶対的に重要視していたようなものを、物質生活的に、ある程度、余裕ができるたびに、ちょっとした遊び(もっと悪く言うと、消費)や娯楽に使っていった歴史の経緯があるのです。

 例えば、昔、食べ物がとても貴重だった時代には、そうした食べ物を、ほんの少しも無駄にせずに大切に食べることが、とても重要だったのですが、それが少しでも食べ物に余裕が出来るようになると、「これは、ちょっと贅沢で無駄なところもあるんだけど、この方がもっとおいしいし、楽しいから、こうやって、贅沢に材料を使っちゃおう(料理や菓子や酒など)」(砂漠の地方だと、水も・・・)、とか、「昔は、お金がないと本当に食べれなくて、大変だったけれども、今は余裕が出来たから、別に生きてゆくのに絶対必要なわけじゃないけど、お金でテレビやステレオを買ったり、きれいなインテリアや、おいしい料理に使っちゃおう」、とか、「昔は暇さえあれば、肉体を酷使して、働くことがとても大事だったけれど、今は余裕があるから、好きな音楽を聴いたり、ダンスをしたり、ゆっくり休んだり、気持ちよい楽しいことをして、遊んじゃおう」、などというように、これは一昔前の宗教観の世界とは、かなり異なるような話になるのですが、人類の歴史を見てゆくと、人間というのは、仕事や生活上、ものすごく神聖視したり、重要視したりしていたものであっても、時代が進んでゆくたびに、少しずつ、いろいろな遊びや娯楽に変化させていった経緯があるのです(物質世界的には、単なる贅沢や浪費に過ぎないかもしれないけれど、宗教的道徳的にも立派な大義名分が成り立ちやすい盛大なお祭りも、同じような立場だと思います。)。

 ですから、こうした歴史の経緯から見る限り、実は、現在、多くの人々が、単なる遊びや娯楽のように考えているものの中には、かつては、とても神聖視され、重要視されるようなものであったものも多いし、また、現在、とても神聖視され、重要視されているものであっても、少し先の未来には、何らかの遊びや娯楽になってゆく可能性もある、ということなのです。

 そうした観点から、もう一度、現在、多くの人々が、まじめに真剣に取り組んでいる物事を見ていった場合には、これは、当然、絶対に他の人々に迷惑をかけたり、大きな失敗や事故につながるような行為は避けなくてはならないのですが、たとえ、現在、とても神聖視され、重要視されているようなことであっても、もう少し気軽に考えて、ちょっとした遊びや遊楽として、考え直してみる、とか、よく考えてみれば、別にそれほど重要と考えられないようなことに関しては、ちょっとした反対活動や抗議行動のようなものをしてみるのも良いかもしれない(当然、何であっても、限度や程度の加減は重要ですが・・・)、ということです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2014年5月20日 9:06 PM, スピリチュアリズム、霊界 / ゼロ・ポイント以降の霊的な注意点について / 歴史 / 社会、文化



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