二つめは、これは、これまでと少し違った意見になるのですが、残念ながら、現在の人間や生き物の精神の働きを見ていると、単純純粋な楽しさや幸せも素直に喜べるけれども、それだけでなく、端から見ていると、「それは、いじめや暴力でしょう」、とか、「それは、間接的な自虐的行為や自傷行為でしょう」、と言いたくなるような、はっきり言うと、自分や他の人々や他の生物の失敗や不幸を喜んでいるようにしか見えないような要素もあるので、この辺りを、いかにして、自分にも他の人々や生き物達にも最も被害や迷惑が少なく、また、後から考えてみても最も後悔や失敗の少ないものにしてゆくか、というような、言ってみれば、自分の人生における一種のリスク管理を行うことが、とても大切になってくるのではないか、ということなのです。
そうすると、ここでいかなる対策をとるべきか、ということなのですが、大まかに言うと、次のような五つのことが言えるようです。
一つは、とにもかくにも、何らかのストレス対策を十分にとっておくことが、とても重要である、ということです。
これは、何らかのゲームやスポーツでもいいし、誰か友達や家族と話すことでもいいし、趣味や園芸でも何でもいいのですが、要は、とにかく、自分が、あまりイライラした状態になったり、他の人々や生き物達をいじめたり、苦しめたりしないように十分に注意しながら、自分にとって、最もエキサイティングで楽しく、ちょっとした気分転換になるような気軽な行為を見つけることが、とても大事だということです。
二つめは、これは大変残念な話になるのですが、どうも現代の多くの人々の生活を見ていると、どう考えてみても、何か他の人に少しでも悪口のようなものを言ってみたい、とか、何か少しいじめるようなことがしてみたい、というような一種の破壊衝動のようなものが、あっちにもこっちにも渦巻いているように見えます。
これは、霊的に見ると、多くの人々が、現在の人生と同時に体験している訳の分からない、たくさんの並行世界的な出来事に対して、潜在意識的にすっかりうんざりしてしまった結果、その憤りや混乱感を、何とかこの世的に昇華したいためにやっている間接的な破壊衝動の一種のように思われます。
それはともかくとして、私は、現在置かれたこうした霊的な状況では、少し客観的な態度で、常に自分の意識の状態や他の人々や生き物達の様子に注意しながら、お互いに、本当に相手を害するつもりはないし、悪口を言うつもりもないということをしっかり確認しながら、それでも何か相手に言いたいことがあったら、はっきり言う、とか、逆に相手が自分に言いたいことがあったら、ちゃんとはっきり言ってもらうように努力する姿勢が、とても大切なのではないか、というように感じています(参考)。
Cecye(セスィエ)
2014年5月17日 3:33 PM, スピリチュアリズム、霊界 / ゼロ・ポイント以降の霊的な注意点について