5、現実のニーズに基づく信用や信頼感と、それとは似て非なる倒錯した所有欲や満足感のもたらす信用や信頼感について
さて、そうした目で、私達の身の回りの生活を見直してみると、こんなことが言えます。
まず第一には、世の中には、多くの人々が、実生活での本当の必要性や、自分自身の心の底からの強い欲求に基づいて、強い信用や信頼感を持っているものと、そうではなく、実際の生活では、それほど絶対に必要があるわけでもないし、また、自分自身の心の底からの強い欲求に基づいて、欲しているわけでもないにも関わらず、なぜか強い信用や信頼感を持っているものの二種類のものがあるということです。
それから第二には、これは、少し変わった指摘になるのですが、実は、人間には、妙な性癖があって、本当は、他の欲求を充足したいにも関わらず、その欲求が十分に充足できないために、代わりに、いっけん、それとは全く関係ない全く別の物への信用や信頼の感覚で、そうした気持ちの充足を行おうとするようなところがあるということです。
これは、具体的に言った方が分かりやすいのですが、例えば、仕事や生活で強いストレスを抱えている人が、過食や豪華な買い物によって、そうしたストレスを紛らわせようとするとか、あるいは、単調で地味な生活を埋め合わせるために、かなり現実離れしたオタク的な趣味や価値観に没頭するようなことが、それに当たると思われるのですが、要するに、こうした信用や信頼感の感覚には、少し妙な落とし穴のようなところがあって、なぜか多くの人々は、こうした信用や信頼感の感覚を、まるで、ある種の所有欲の充足や強い満足感そのものののように錯覚してしまうようなところがあるようなのです。
このような観点から見ると、実は、人間の信用や信頼感の感覚には、ちょっとした錯覚や倒錯の要素が含まれているということが言えるのですが、実は、これ以上に複雑でややこしいのは、こうした信用や信頼感の感覚というのは、人間に対して、本当は、大して強い満足感や幸福感をもたらすわけでもないような世間の様々な物事に対して、よく考えてみると、かなりねじれた、というか、かなり歪んだ満足感や充足感をもたらしてしまうようなマイナスの要素もあるということなのです。
Cecye(セスィエ)