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常に感謝の心を忘れない Part 5

④物質的、現実的、社会的にも、健全で着実な生き方を心掛けてゆく

 第四には、これは歴史的には、多くの宗教的な人々から散々非難され続けてきた内容になるのですが、要するにある程度、物質面の充足や満足というものを重視して生きてゆこうとしているような人々から見ると、こうした「何でもかんでも愛や感謝の心で生きていればよい」と単純に考えているような人々が、まるで一種の病人か、単なる馬鹿者のように見えていたようなところがあったということです。

 彼らの考え方を要約すると、要するに、こんな感じになるのですが、「お前の言う正しい信仰というのは、よく分かった。だけど、私が調べた限り、お前に正しい信仰と言っている人物は、本当は、単なる迷信を心から信じ込んでいるか、そうでなければ、とんでもない嘘を言っている奴だぞ」とか、「君の言う幸せな信仰生活は分かった。だけど、そんな夢みたいな話を言う前に、とにかく今、君がやるべき学業や仕事や家庭での役割をしっかり果たしておかないと、後で大変な目に遭うぞ」とか、「君の言う愛や感謝の気持ちで幸せになれるのはよく分かるが、だけど、今の君のある程度、充足した生活を支えているのは、君が馬鹿にする単純な毎日の労働や、誰かが一生懸命考えて発明した身の回りの品々や技術のお陰じゃないか。だから君も一生懸命働き、人並みにいろいろなことを考えたり、何か新しく作り出すような努力をしながら、その上で、そうした愛や感謝の生活をしてもいいんじゃないか」とか、「みんなで力を合わせて、神や国王や独裁者への忠誠を誓い、何も考えずに、ただひたすら言われた通りに従い、愛や感謝の生活を送るのは、確かにいっけん幸せで、この世的にも楽な生活かもしれない。だけど、君もよく調べてみたら分かるけど、他の国はともかくとして、今のこの国の宗教や政治は全然おかしいよ。本当に良い宗教や政治がある国なら、それで良いと思うけれど、今のこの国の場合には、単純に馬鹿みたいに信仰とか、忠誠とか、愛や感謝の生活などと言わずに、かなり大きな改革、もしくは、革命が必要なんじゃないか」などというような感じになるようです。

 要するに「愛や感謝の心」や、それが高じた「信仰心」や「忠誠心」というのは、場合によっては、かなりひどい宗教的腐敗や悪政や、社会の混乱が起きているような状況でも、何も考えずに何もしないで、ちょっとした精神的幸福を味わい続けられるような、言ってみれば、ある種の麻薬のような働きをするようなところがあったために、長い目で見ると、本当の宗教的理想の実現や、本当の政治や社会の理想の実現のためには、かなりマイナスに働くようなところもあったのです。

 つまり、愛や感謝の精神で生きることは、確かに大事なのですが、ともすれば、それは、あまりにも簡単にその人に精神的な安心や幸福感をもたらし過ぎてしまうようなデメリットもあるために、場合によっては、それが行き過ぎて、他の人々から客観的に見ると、「もう少し、よく調べたり、考えてもいいんじゃないか」とか、「現代人として、普通に知るべきことや、やるべきことを、もう少し、しっかり考えてみてもいいんじゃないか」とか、「それは信仰じゃなくて、盲信や狂信だから、もう少し冷静に疑ったり、調べてみてもいいんじゃないか」とか、「もう少し冷静に人の話を聞いてから、いろいろ決めてもいいんじゃないか」とか、「夢見たいなことばかり考えずに現実の社会の状況を、もう少しよく見たらどうか」とか、「もう少し地に足をつけて、現実の社会の改善に取り組んでみたらどうだろうか」などというように、かえって、その人自身の失敗や間違いにつながったり、あるいは、社会の悪の放置や助長につながるようなデメリットもあったということなのです。

 

 このように人間が愛や感謝の心で生きてゆくことは、多くの人々に本当に、この上ない安心感や幸福をもたらす反面、気をつけておかないと、とんでもない災難や不幸をもたらすような一面も持っているので、非常に注意が必要なところもあるということです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2013年11月4日 9:04 PM, 宗教、道徳 / 愛について



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