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天皇制について Part 9

4、「天皇教」と「大日本帝国憲法」の効用と限界について

 第四には、これが結論に近い内容になってくるのですが、そうすると現代の多くの日本人が、ほぼ無意識のうちに信じ込まされている天皇と軍部の関係というのが、実は、ほぼ全部ウソの作り事だったのではないかということなのです。

 ここでは、幾つか具体例をあげて説明したいと思います。

 

①今日インチキ報道の代名詞になっている「大本営発表」は、軍部が勝手にねつ造したものではなく、最終的には、常に当時の天皇・裕仁の承認が絶対必要だったはずである

 まず第一には、日本では、特に戦中の「大本営発表」の報道統制が有名なのですが、これを客観的に説明すると、だいたい、こんな風景になります。

 軍人の要職の人間が急いで当時の皇居に走り込んでくると、「天皇陛下、大変です。アメリカ軍の攻撃を受けて、連合艦隊の主要な空母が数隻撃沈され、数千人の兵士が死亡し、数千人の兵士が怪我をして、現在帰還の途に就いております」と当時の天皇・裕仁に説明するのですが、その後、同じ皇居に配達されてきた当時の大新聞には、「日本海軍、またまたアメリカ海軍を破り、大勝利した」などと一面に書かれているとします。

※当時は皇居ではなく、「宮城(きゅうじょう)」(宮城県とは関係ないです)と呼ばれていて、天皇や皇居を守る精鋭の近衞(このえ)師団が厳重に警護していて、日本の最重要軍事拠点のような感じだったようです(戦争末期、明治時代に作られた宮城は爆撃で消失しています)。

 この時、当時の大部分の日本人は、軍人も含めて、その大本営発表しか全く知らないわけですが、その一方で軍部のお偉方と、その一番の司令官である天皇・裕仁は、実際には、虎の子の日本海軍が大打撃を受けたことをよく知っているわけです。

 この時、もし本当に民主的な平和主義の天皇であるなら、「これはとんでもない間違った報道だ。こんな新聞を出させていたら、それを統括している私(当時は「朕」と言っていましたが)がトップの大本営は大嘘つきだということになる。軍部が戦争を勝手に進めるのは仕方ないにしても、国民にウソをつくような報道は、すぐにやめさせろ」ということになったのでしょうが、実際にはそうはならなかったので、単純に推測すると、次のような二つの成り行きがあったように思われます。

 まず一つめのケースは、「私はインチキ報道は絶対にダメだと言ったが、軍人の連中は、全然言うことを聞いてくれない」などというように当時の天皇には、あまり権威も権力もなかった可能性があるのですが、これは当時の状況から推測するに多分間違っていると思われます。

 二つめのケースは、そうすると「海軍が大打撃を受けたのは聞いたが、それを国民に知らせると海軍の一番上のトップは、現人神の私ということになっているから、自分の責任を問われるのは嫌だから、この際、国民にはウソの報道で押し切ることにして、いつも大勝利、大勝利というようなウソの報道だけしか一切流さないことにしておこう」というように当時の天皇・裕仁自ら、それを承認した可能性がかなり高いということになります。

 つまり一般には、あたかも当時の大本営本部、並びに大新聞が勝手にインチキの報道をしたかのように言われている報道統制なのですが、実際には戦場の真実と報道のウソの違いを一番明確に把握していたのは、当時の軍部の上層部というより、天皇・裕仁自身であったはずなので、当時のその人の政治感覚を想像すると、現代の日本人としては、「ちょっと?」となるのは当然の感覚なのではないかということです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2013年7月30日 5:03 PM, 政治 / 歴史 / 社会、文化 / 軍事



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