3、現代、大多数の日本人が考えている第二次世界大戦の経緯と、戦後の日本の繁栄の理由は、かなり間違っているのではないだろうか?
第三には、これは、かなり不思議な話になってくるのですが、そうすると現代の多くの日本人が心の底から、かなり深く信じ込んでいることが多い次のような五つの話は、ほぼ全部、嘘に近いような話だったのではないかということです。
①日中戦争は、軍部が勝手に暴走して、どんどん戦渦が拡大していった。
②太平洋戦争は、どうしても避けられなかった戦争で、突然の日本軍の奇襲で始まった。
③沖縄戦を初めとする当時の日本軍の度重なる敗北や、日本の大都市が空襲で廃墟になったのは、どうしても避けられなかった。
④広島、長崎に原爆が落ちたのは仕方なかった。
⑤戦後日本が豊かになったのは、歴史上、当然の成り行きだった。
それぞれの話について考えてゆきたいと思います。
①当時、普通の民間人から見れば、軍部が勝手に暴走したように見えたかもしれないが、昭和天皇の立場から見れば、軍部は、常に天皇に忠実な軍事行動しかしていなかったはずである
まず一つめの日中戦争の戦渦の拡大に関しては、軍部からは、常に逐一、当時の天皇・裕仁(ひろひと)の所に、軍部のそれぞれの作戦の目的から状況の変化に至るまで、かなり細かな問い合わせや報告が来ていたはずなので、本当は軍部の独走など絶対にあり得るはずもなかったのではないか、ということです。
つまり現代の人々から見ても、また当時の大多数の人々から見ても、まるで軍部がどんどん勝手に暴走して、戦争が拡大していったかのように見えたかもしれないのですが、ところが視点を変えて、当時の天皇・裕仁の立場から見ると、常に軍部は天皇の言うことに忠実であったし、また天皇に忠実な軍事行動しか一切していなかったように見えたはずなのです。
※226事件の経緯を見るとよく分かるように、その後の日中戦争にしても太平洋戦争にしても、本当は、当時の天皇・裕仁が絶対にそれを望まないと、かなり強い意思を示した場合には、たとえ軍部でも、それほど強硬的な態度はとれないかったはずです(というか、正確には、その軍部のトップが、昭和天皇・裕仁であったのですが・・・)。
※当時の日本は、戦後よく言われる「シビリアン・コントロール(文民統制)」、つまり国民の代表が軍隊をしっかり掌握するような政治体制にはなっていなかったけれども、その代わり、「インペリアル・コントロール(天皇の統制)」、つまり、当時の日本国民が信任する天皇による軍部の統制は、かなりしっかりなされていたはずであるということです。
②アメリカ、イギリスとの開戦は、最終的には、当時の天皇・裕仁が責任をもって下した軍事決定だったはずである
二つめは、真珠湾攻撃で有名なアメリカを初めとするイギリス、オランダなどの連合軍との開戦についての話になるのですが、これは現代人の目で見ても当時の軍部の人間だけでは絶対に決められないくらい、かなり重要な軍事上の判断であったものと思われます。
それゆえ細かな軍事上の作戦の内訳は、当時の軍部の人々が考えたとしても最終的な政治判断、つまりアメリカを初めとするイギリス、オランダなどの連合軍に対して、当時のドイツやイタリアと組んで大戦争をする軍事的決定は、当時の天皇・裕仁が、かなりの勝算を見込んで直接責任をもって決定したのは、ほぼ間違いないということです。
※1941年の段階では、当時、大日本帝国と同盟国だったナチス・ドイツが破竹の勢いでヨーロッパを侵攻し続けている最中だったので、そうした勢いに遅れまじと、当時のアメリカやイギリスと開戦したのではないでしょうか。
Cecye(セスィエ)