2、昔の大日本帝国陸海軍の最高司令官は、当時の陸海軍のトップではなく、当時の日本の最高位の精神的かつ政治的リーダーであった昭和天皇・裕仁自身であった
第二には、これも考えてみれば、少しおかしな話になるのですが、戦前の日本は、現代の日本人としては全く考えられないほど、アジアを代表するどころか、当時の世界で5〜6番までに入るような大軍事大国であったのですが、それでは、当時の大軍事大国日本の一番のトップは、いったい誰だったのかというと、これは戦後、いろいろな形で誤摩化して国民に伝えようとすることが多いので、現代の日本人はすっかり分からなくなってしまっているのですが、当時の陸軍や海軍の元帥や、内閣の首相を含む陸軍や海軍の大臣ではなくて、一応、形式上は、昭和天皇になっていたということなのです。
つまり戦後の日本人は、何となく当時の戦争の指揮は、軍人のトップが何でも勝手に決めていたような錯覚を持ちがちなのですが、ところが実際には、たとえ軍部の偉い人達がいろいろ話し合って決めたことであっても、最終的には、昭和天皇の所に話を持っていて、「私達はこうしたいのですが、陛下のお考えは、どうでしょうか」というような形で最終的な決裁をつけていたのは、ほぼ間違いないということなのです。
実際、これは当時の政治情勢を考えてみないと分かりづらいのですが、軍人の人達がいろいろ話し合っても、最終的には、全国民に「現人神(あらひとがみ)」として信任されている昭和天皇の所に行って話を通さないと、結局、いかなる軍事的な決定も一切決められなかったはずなのです。
実際、戦時中の映画を見ると「皇国(天皇の国)の・・・」とか、「天皇陛下万歳!」とか、「玉音(天皇の肉声)放送」などというように当時、いかに多くの日本人が心から天皇を慕っていたか、また逆に言うと、どれだけかなり強力な洗脳教育を受けていたかということがよく分かるので、そうした状況では、結局、いかに軍部が勝手な独断で暴走しようとしたとしても、最終的には、昭和天皇の所に行って話を通した後でないと、いかなる軍艦も、いかなる戦闘機や戦車も、また、いかなる陸軍や海軍の大部隊も一切動かせなかったはずなのです(当時の軍旗や銃や軍艦には、みんな天皇家の紋章がついています)。
そうすると、これは戦後の日本では、かなり誤摩化して教えようとすることが多いのですが、実は、戦争を終結させるための大英断(当時は「御聖断(ごせいだん)」と言ったようですが・・・)を行ったのが昭和天皇であるなら、当然のことながら、その戦争を開始する、あるいは、その戦争を続ける、もしくは、終戦をずるずると引き延ばすための大英断(今日的には間違った政治判断をされていますが・・・)を行ったのも、当時の昭和天皇自身であったのは、ほぼ間違いないということです。
※実際、太平洋戦争「開戦の詔(みことのり)」には、当時の天皇・裕仁がしっかり軍部を掌握しつつ、開戦決定に関わったことと、当時の天皇・裕仁の名前で当時のアメリカとイギリスに宣戦布告を行ったことがはっきり書かれています(参考)。
Cecye(セスィエ)