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Q&A 天皇制について Part 3

③平安時代は、それほど平安な、のどかな時代ではなかったし、近現代の日本の繁栄につながる歴史のルーツは、江戸時代であることも多い

 第三には、これは現在の教育による刷り込みに近いような内容になるのですが、日本の教育だと、現代日本の基礎は明治時代になるので、現在の日本が素晴らしい理由を説明しようとすると、どうしても「それは明治時代が良かったから」ということになり、そうすると「その明治時代が良かった理由は、ずっとずっと昔の武士が統治していない平安時代が最高だったから」というような歴史のイメージになってゆきがちだったようなのです。

 その理由をたどると、現在のような義務教育が始まった頃の明治政府は、当時の政府の正当性を国民通津浦々(つづうらうら)にまでしっかり教え込むために(当時は、まだ国中に武装勢力がうようよいて、ちょっと何かあると、すぐに反乱が起きた時代だったので)、「江戸時代は古くてダメだったけど、明治時代は、何でも新しくて素晴らしい」というような教育スローガンを掲げていて、さらにそれを歴史的に体系づけるために「遥か昔の武士が統治していない天皇や貴族の世の平安時代は、とても良い時代だったのだ」というような教育キャンペーンを張る必要があったからであると思われます(そうしないと明治時代の天皇制の正当化ができないので・・・)。

 ところが歴史の実態を調べてみると明治以降、日本の近代化が、わりとスムースに成し遂げられた理由は、江戸時代の学問や科学技術や芸術などのレベルの高さや、それを支える教育水準の高さがあったからなので、実際には江戸時代は、それほど悪い時代でもなかったし、逆に言うと江戸時代の下準備がしっかりあったからこそ、明治以降の日本の近代化が、わりとスムースに成し遂げられたようなところがあったということなのです。

 それと日本の教育だと、何となく平安時代は平和で、のどかな天皇や貴族の世で、和歌や小説や寺院や着物などの日本文化のルーツであるというような印象を持ちやすいのですが、ところが、実際には平安時代であっても戦争もあれば、飢饉や流感もあるし、また地震や風水害などの天変地異も何度もあるという具合に、それほどいつも平和で、のどかな時代とは言えなかったようなのです。

 それから当時の代表的な貴族の藤原氏には、弓の達人がいたなどというような記録からも分かるように平和で、のどかな貴族のイメージとは少し違って、実際には武士の世と一緒で、当時の天皇や貴族であっても一応何かあれば、刀や弓や槍を持って戦えるというような、いわゆる多少は武士とほぼ同じような素養もあったようなのです(つまり、実際にはある程度、リッチな生活はしているけど、何かあれば、国のために戦うというような外国の王や貴族のイメージに近かったのではないかということです)。

 ですから日本の歴史において、平安時代が、わりと平和で華やかな貴族文化の栄えた時代であったことまでは私も認めるのですが、それでは当時の天皇や貴族は、みんな現代の超セレブのような、蝶よ花よの贅沢し放題の生活ばかりしていたのかというと、そうでもなくて、実際には何かあれば、自分の身を守る必要もあったし、また地方の反乱や外国の侵略に備えるために、それ以前の飛鳥(あすか)・奈良時代とほぼ同じように国家統治のための苦労や努力もあれば、何かあった時のための一通りの武術の嗜みぐらいは、ある程度あったというのが歴史の実態だったのではないか、ということです。

※これも歴史のパラドックスのような話になってしまうのですが、もし平安時代がそのままずっと続いていた場合には、13世紀の元寇では、いくら神風が吹いても全く太刀打ち出来なかったものと思われるので、その場合には、おそらく当時の貴族政権の日本は、いろいろな経緯を経た後に元の支配下に組み入れられたと思われます。

 そうした歴史の流れの場合には、平安時代までに築かれた日本独自の文化の大部分は時と共に失われてゆき、今日までほとんど伝わっていないというような現在の日本とは、かなり異なる日本の状況になっていた可能性もかなり高いということです。

 つまり平安時代以降、数百年間、武士政権に移行していたからこそ、今日のように平安時代の文化がある程度、しっかり残るような歴史の結果になったのではないかというような見方も成り立つということです。

 

 それと、これは歴史上の文献にも、かなりはっきり残っているような話題になるのですが、前にも述べたように平安時代を含む歴史上の中世の辺りの時代は、全世界的に魔術や呪術のパワーがかなり強かった時代なので、日本の平安時代にも結構、あちこちで魔術戦争というか、ある種の呪術闘争のようなことが起きていたようなのです。

 近年だと「陰陽師」の映画が有名ですが、例えば、都に鬼や妖怪のたぐいが出没したとか、何かの祟りや呪いで、有名な公家が病気やキチガイになったとか、荒神が暴れて風水害や流感が広まったとか、正しい宗教上の礼節や供養を行わなかったために全国規模のものすごい災いが起きたとか、霊的に正しい人間を不遇な扱いをしたために、後々大変な祟りのようなことが起きたので、それを鎮めるために神社を作ったというような話が、平安時代の頃には結構あります。

 ですから平安時代は、本当に平和なのどかな時代であったのかというと、本当は単純にそうとも言いきれない一面があって、武力による戦争は少なかったかもしれないけれど、それに代わる権力闘争や呪術闘争のようなものはそれなりにたくさんあったようなので、天皇や貴族の世は平和で華やかで、武士の世は質素で戦乱ばかりというのは嘘で、実際には、天皇や貴族の世でもそれなりに争いや惨めな要素があったし、またその反対に武士の世であっても平和や華やかさの要素はそれなりにあったというのが歴史の実情だったのではないか、ということです。

 

 この話の続きは、少しの間、お休みになります。

 

 

Cecye(セスィエ)

2013年7月11日 9:06 PM, Q&A  / 政治 / 歴史 / 社会、文化



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