3、高度幸福社会の実現のためには、異常なイデアの世界の影響力を減らすために、多くの人々が、より良い意味で、「至福や快楽のイデア」や「新たな挑戦やスリルのイデア」や「遊びイズムのイデア」を増やしてゆく必要がある
さらに、第三には、これは、今後の未来社会を左右するような、非常に建設的な考え方になるのですが、先ほどから述べているように、現在の推移のまま、闇の勢力の強烈な影響下にあるイデアの世界が、大きく減少すると共に、地上の世界の進歩や開放によって、多くの人々の潜在的な欲求不満が、少しずつ解消していった場合、その先には、いったい、どのような世界が待っているのか、ということについて、少しだけ述べてみたいと思います。
先ほど述べたように、これまでの光と闇の時代では、そうした、この地上の世界と霊界の裏世界であるイデアの世界には、至福や快楽をベースにした「光のイデアの世界」と、それから、それとは、ちょうど対極に当たるような、苦痛や恐怖をベースにした「闇のイデアの世界」があったわけなのですが、私が予測するに、今後の光の時代、統合的大調和の時代には、おそらく、次のような三つのイデアが、世界を支配し、リードするようになれば、多くの人々が、最も幸福に繁栄できるような世界になってゆくのではないか、ということなのです。
まず第一には、これは、単純素朴に、できるだけ多くの人々が、至福や快楽を享受できるような世界にしてゆく、ということです。
つまり、誰かを苦しめたり、大きな混乱を巻き起こすわけでもないような、単純素朴な「至福や快楽のイデア(要素)」は、基本的に、そのまま残して、世界のユートピアの原理として、使ってゆく、ということです(当然、裏世界ではない形になりますが・・・)。
第二には、これまでの非常に長い長い光と闇の時代の反動で、多くの人々は、まだまだ、何と言うか、苦痛や恐怖や迷いというのが、本当に嫌なことなのか、それとも、少しは、良いところもあるのか、というようなことが、かなり分かりづらくなってしまっているようなところがあるのです。
それゆえ、これは、宗教的、あるいは、霊的には、少し変わった提案になるのですが、本当の苦痛や恐怖を感じなくても済む程度に、つまり、現実の事故や怪我や損害などの心配は、ほぼ全くしなくて済むような、健康的で安全な状況を、あらかじめ、しっかりと確保した上で、多くの人々が、わりと平和な安心した形で、ちょっとした恐怖や危険を味わえるような体験の場を作ってあげる、とか、ちょっとした挑戦やスリルを味わえるような体験の場を作ってあげることによって、現実の世界での苦痛や危険をかなり大きく減らせるのではないか、ということです。
つまり、もっと簡単に言うと、もし、その人が、何らかの興味や必要性を感じるのであれば、かなりしっかりとした健康や安全上の配慮をした上で、普通の社会では、全くできないような、ちょっと怖い体験やスリルのある行動も、ある程度は、できるように、社会の仕組みを整えてあげれば、理屈的には、その相対効果で、多くの人々の心の奥に潜む、破壊や混乱や消滅に関わるような、マイナスの潜在願望が減って、より現実の社会の快適性や安定性が高まるのではないか、ということです。
※ ただし、この場合、特に義務教育の場などで、あまり押し付けにならないような、良い意味での道徳教育や体育教育などで、「自分が痛い、苦しいと感じるようなことは、決して、他の人にもしない」、とか、「他の人が、大変な苦しい時には、自分のできる範囲で助けてあげる」、とか、また、その反対に、「自分が、大変な苦しい時には、しっかり他の人に助けを求めることができる」、といった、自分の痛みや他の人の痛みが分かるような教育ができていないと、とんでもない異常犯罪やテロのようなものが増える可能性もあるので、注意が必要なところもあります。
Cecye(セスィエ)
2013年6月22日 9:03 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観 / 時間と空間の秘密 / 社会、文化