三つめは、これは、とても不思議な話になるのですが、実は、人間には、不思議な習性があって、それというのは、なぜか、多くの人々は、目の前に、何か複雑な問題や難しそうなものがあると、それが気になって仕方なくなったり、あるいは、それを完全に解き明かさないと気が済まなくなるようなところがあるようなのです。
これは、これまでの人類の学問や知性の発達の経緯を見れば、ほぼ明らかなのではないか、と思われるのですが、ところが、よく考えてみると、人類のこうした習性の中には、多少、病的なものがあって、それというのは、「それは、いくら調べても、絶対に解明できないのではないか」、とか、「そんなことは、もう他の人が調べて、しっかりした資料になっているので、別に君が調べる必要なんて、全然、ないんじゃないか」、とか、「いくら学問のためとは言え、そこまでやると、君自身や家族が不幸になるのではないか」、とか、「その研究を進めると、結局、多くの人々が不幸になるのではないか」、というような種類の学問や研究のようなものも、そうした中には、結構、数多く含まれているようなところがあるからなのです。
それでは、一部の人々が、なぜ、そうした、多少行き過ぎた研究にのめり込むようなことになるのか、というと、その理由は、おそらく、例のイデアの世界との関係で、本当に、その内容が好きで、自分自身の本心からの興味や、他の人々や生き物達への愛情から行っているのではなく、よく分からないが、何となく、無意識のうちに、恐怖や怒りを感じて、なぜか、ストップがかけられない状態で、ずるずると、ずっとその調査や研究を続けているような状況になっているからなのではないか、ということなのです。
つまり、先ほど述べたような理想郷に向かわせるための、至福や快楽に満ちた「光のイデアの世界」の影響とは、まるで正反対の、苦痛や恐怖や迷いに満ちた「暗闇のイデアの世界」の影響によって、なぜか、本当は、全然、何の幸福感も満足感も感じられないにも関わらず、何らかのことを止めることができなくなってしまう、というような、人間のダークな側面が、そうした大迷宮の中から、なかなか出れなくなる根本的な理由の一つになっているのではないか、ということなのです。
Cecye(セスィエ)
2013年6月13日 9:03 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 時間と空間の秘密 / 知恵、正しさ