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世界の裏側に潜む「イデアの世界」の秘密について Part 14

②多くの人々が、寓話の中の大迷宮から出られなくなる原因は、イデアの世界の影響ばかりでなく、人間というのは、意外と、知らないことや、間違うことや、迷うことの中にも、多少、幸福感を感じるようなところがあるからである

 第二には、今度は、それでは、大迷宮とは、いったい、何であったのか、ということについて、述べたいのですが、おそらく、これは、この地上の世界に生きているうちに、ほぼすべての人が分からなくなるはずの内容になるのですが、要約すると、次のような三つの内容にまとめられるのではないか、と思われます。

 まず一つめは、これは、一昔前の時代のように、多くの人々が、まともな学問も学べず、一生、文盲のような状態で過ごしていた時代には、なかなか分からなかったような話になると思われるのですが、実は、学問や職業などの社会的建前とは、かなり違って、人間というのは、いろいろなことを学んだり、知っていることも、とても好きなのですが、それと同時に、いろいろな物事について、知らないことや分からないこと、それから、学ばないことや出来ないことも、結構、同じように好きなところがあるようなのです。

 つまり、多くの人々の様子を見ていると、学ぶことや知っていることも好きだけれど、それと同じくらい、知らないことや間違えること、それから、分からないことや迷うことも好きなようなところがある、ということなのです。

 ですから、こうした人間の知りたい欲求(知的欲求)の裏に隠れた、「時には、迷うことや間違えることもしてみたい」、というような、間違えたい欲求や、迷いたい欲求(不知的欲求)の充足というのが、そうした大迷宮の存在に象徴されているのではないか、ということです。

 二つめは、これは、少しややこしい話になるのですが、先ほどから何度も述べてきているように、特に地上の世界の人間は、この世界の裏に隠れた光のイデアの世界と闇のイデアの世界の影響で、本当は、良いものが悪く見えたり、また、その反対に、本当は、悪いものが良く見えたり、あるいは、本当は、楽しい幸せなことを、つまらない不幸のことのように感じたり、また、その反対に、本当は、つまらない不幸なことを、まるで最高に楽しい幸福なことのように錯覚してしまうようなことがあるようなのです。

 それゆえ、そうした心の間違い、というか、心の迷いの影響で、これは、別に大迷宮でなくても、同じようなところがあるのですが、要するに、よく考えてみれば、ものすごく簡単なことを、なぜか、ものすごく難しく考えて、間違ってしまったり、あるいは、なぜか、似たような間違いや失敗を、何度も何度も繰り返してしまうようなところがあった、ということです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2013年6月12日 9:03 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 時間と空間の秘密 / 知恵、正しさ



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