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「正しさ」について Part 7

③自分のみならず、自分の周りの人々や生き物達を幸福にする行為が正しい行為で、自分のみならず、自分の周りの人々や生き物達を不幸にする行為が悪い行為である

 第三には、これは、まだ現代の地球では、それほどメジャーな考え方ではないのですが、この世の中には、多くの人々の幸不幸の鍵を握るキーに当たるような存在があって、それが減ったり、なくなったりすると、多くの人々や生き物達が一緒に不幸を享受することになるのだが、逆にそれがあったり、増えたりすると、多くの人々や生き物達が一緒に大きな幸福を享受することができるようなものがあるのです。

 それゆえ、そうしたものに関しては、これは別に、ことさら「正しい」、「正しい」と言うほどの正しさではないのですが、できれば推奨される「正しさ」、あるいは、「善」であるというような視点を持てばよいのではないか、ということです。

 もう少し具体的に言うと現代の地球だと、例えば、それは自然環境の保護に当たったりするわけなのですが、それと、もう一つ大切なのが、一人でも多く幸福な人間を作らなくてはいけないということです。

 その理由は単純で、一人幸福な人間がいると、ほぼオートマチックにその人の周りに、二人、三人と幸福な人々が増えてゆくことになり、また、その反対に一人不幸な人がいると、やはり、ほぼオートマチックにその人の周りに、二人、三人と不幸な人々が増えてゆくようなところがあるからなのです。

 それゆえ、これは現代の地球では、まだ珍しい考え方になるのでしょうが、実は、自分の身の回りに幸福な人がいると、その人の周りには、ほぼオートマチックに、どんどん幸福な人々や生き物達が増えてゆくようなところがあるのです。

 ですから、これは絶対的な正しさというよりかは、どちらかと言うと推奨される正しさということになるのですが、常に自らのみならず、自分に関わる周りの人々や生き物達を、少しでも幸せにしてゆくような行為が正しい行為、それから自分のみならず、自分の関わる周りの人々や生き物達を、不幸にするような行為が悪い行為と考えてよいのではないか、ということです。

 

④よく宗教や道徳で言われているように他の人々や生き物達のために尽くすことは、確かに大事なことなのだが、それと同じくらい自分自身の幸福や利益のために努力することも、とても大事なことである

 第四には、これは至極単純な話なのですが、よく宗教や道徳で言われているように他の人々や生き物達の苦しみや悲しみを減らし、幸福を増やせるような愛の行為をすることが良いこと、もしくは、正しいことであるということは、結構、誰でも分かると思います。

 確かに一昔前の時代のように何かあると、すぐに食べ物や衣服や住居に事欠くような時代であれば、ともすれば、どの人もどの人も自分の利益、自分の幸福と考えがちであったので、そうした時代に、できるだけ他の人や他の生き物達のことを考える必要性が、そうした宗教や道徳で強く説かれたことはよく分かるのですが、ただ、現代のように多くの人々がある程度、物質的に豊かな時代になった場合には、そのような形で他の人々や生き物達の利益や幸福のことを考えることも、とても大事であるけれども、それと同じくらい自分自身の利益や幸福のことを考えることも、とても大切になってきているのではないか、ということなのです。

 ですから、これは昔の宗教や道徳で説く正しさとは、少し違った見解なのですが、もし、いつも他の人々や生き物達のために、あれやこれや一生懸命努力しているにも関わらず、自分自身は、それほど豊かでもないし、あまり幸福な感覚もしないというような人に関しては、「他の人々や生き物達の利益や幸福と同じくらい自分自身の利益や幸福のために、いろいろな努力をすることも、とても大切な正しい行為なのだ」というような視点を持ってもよいのではないか、ということです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年11月12日 9:06 PM, 知恵、正しさ



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