4、霊的に進化した惑星では、「死の象徴」に当たるような、「墓」を作る習慣や、亡くなった人の魂を、何度も何度も、地上の世界に呼び寄せ、引き戻すような霊的な働きを持つ、「葬式」や「供養」を行うような習慣は、ほとんど存在していない
さて、こうした観点で、もう一度、お墓というものについて、考え直してみたいと思うのですが、特に、ここ百年ぐらいの間の時期というのは、こうした事情で、多くの人々の潜在願望の実現ということで、非常にたくさんの、非常にきれいな、しっかりとした、お墓が作られたり、非常に盛大な葬式や供養が営まれてきた、ということなのですが、実は、先ほども述べたように、霊的に見た場合、その人の霊が、肉体から、完全に離れてしまった後、いつまでも遺体を、地上の世界に置いておくと、いろいろ問題がある、と述べたのと、ほとんど同じような理由で、お墓の存在に関しても、霊的には、ほぼ不必要なところがあった、ということなのです。
お墓が不必要な理由としては、大きく三つあるのですが、まず第一には、本当は、霊的には、亡くなった人に用事があるなら、亡くなった人に、直接、コンタクトすればよいはずなので、基本的に、そうした、もうすでに亡くなった人の魂の抜け殻にあたる、遺体、及び、遺体を置くためのモニュメントというのは、全く不必要なところがある、ということです。
第二には、お墓というのは、霊的には、「死」の象徴、もしくは、「死」のモニュメントのような扱いを受けることになるので、本当の「幸福」や「生命」の尊さを尊重する、宇宙的な霊的な価値観では、ほとんど尊重されていない、ということです。
第三には、これは、現在の地上の世界では、まだ、あまり知られていないのですが、実は、お墓を作る習慣というのは、前にも述べたように、この世界が、次元陥没して、低次元宇宙に属するようになってから、出来た習慣であるので、現在の地球が、まだ高次元宇宙に所属していた時代には、そうした、お墓を作る習慣自体が、全くなかった、ということです。
それでは、いったい、どうやって、高次元宇宙の人々は、人生の最後を迎えていたのか、というと、それは、わりと簡単で、その時代の人々は、自分が、その世界で、学ぶべきことや、やるべきことを、しっかりと果たした段階で、パッと消えるような形で、より高次元の生命の世界に還り、人生の区切りを迎えていた、ということなのです。
それが、現在の地球のように、低次元宇宙での生活を送るようになってからは、この世界には、突然の思いがけない「死」というものが存在するようになった、ということなのですが、こうしたことからも、よく分かるように、実は、「死」という概念、それから、そうした「死」という概念に基づく、「墓」という存在自体が、霊的には、まるで、一つの「死の宗教」のような扱いを受けるようなところがあったのです。
つまり、他の動植物には、そうしないのに、人間の場合にのみ、死んだら、墓を建てたり、祭ったりするような宗教習慣があるのは、本当は、霊的に非常に盲目になった人々、つまり、死んだ後に、その人の魂が、どこにいるのか、ということすら、よく分からなくなった人々が、大量に出てくるようになったことと、非常に深い関係がある、ということなのですが、実は、こうした、死者の墓を作り、死者の葬式や供養を、一生懸命、行わせるような習慣を作らせたのは、光の勢力の側の神仏とは、全く関係なくて、闇の勢力の側であった、ということなのです。
ですから、霊的に、ある程度、高度に進歩した惑星では、基本的に、たとえ、誰かが亡くなったとしても、その人の霊が、霊界に、しっかり移行したのが確認された段階で、遺体に関しては、その後、いろいろ霊的に呪縛されたりしないように、ほぼ完全に姿形がなくなるような形で、丁重に処理して、物質的には、なくしてしまうと共に、当然、そうした、その人の「死」に関わるような墓を作ったり、その後、何度も何度も、その人の魂を、地上の世界に引き寄せ、呼び戻すような霊的な働きを持つ、葬式や供養のようなものに関しても、原則、一切、行わないような形になっている、ということなのです。
Cecye(セスィエ)
2012年8月4日 9:12 PM, Q&A / スピリチュアリズム、霊界