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Q&A 亡くなった人々への対応について Part 1

 これは、現在の東洋の宗教観から見ると、少し過激な考え方も、かなり入っているような見解になるのですが、現在、地上の世界で生きている人が、亡くなった人々に対して、どのような態度をとるのが、霊的に、最も正しいのか、というと、大まかに言って、だいたい、以下のようなことが言えます。

 

1、地上の世界の人々は、すでに亡くなった人々のことを、あまり強く縛りすぎてはいけないし、また、すでに亡くなった人々も、地上の世界の人々のことを、あまり強く縛りすぎてはいけない

 まず第一には、現在、地上の世界で生きている人は、もうすでに亡くなった人々のことを、あまり強く縛るようなことはしてはいけないし、また、すでに亡くなった人々も、たとえ、いくら自分が、大変だからと言って、地上の世界で生きている人々のことを、あまり強く縛りすぎるようなことはしてはいけない、ということです。

 これは、現在の日本や中国のように、先祖供養の盛んな地域では、そう簡単には、なかなか受け入れられないような考え方になるのではないか、と思われるのですが、本当は、たとえ、誰か人が亡くなったからと言って、そうして亡くなった人の後に残された人々に対する、何らかの精神的なケアのようなものは必要であっても、もうすでに亡くなった人々に対する霊的なケアというのは、実際には、ほとんど不必要なところがあったのです。

 実際、今日、いろいろな所で行われているような、すでに亡くなった人々との霊的な交流では、そうして、残された地上の世界の人々、つまり、特に身近な存在であった、亡くなった人の伴侶や親や子供や友人などに対する、慈しみやねぎらいの言葉は、よく聞かれるのですが、それ以外の宗教的な感想、つまり、「お盆や彼岸の供養が効いた」、とか、「法事が最高だった」、などというような、霊界の人々の発言というのは、ほとんど聞いたことがないのです。

 ですから、こうした霊的な状況から、客観的に考えてみる限り、すでに亡くなった人々が、時折、地上に残した人々のことを、懐かしく思い出したり、深く考えたりすることはあったとしても、そうした亡くなった人々に対する、地上の世界での宗教的な行事による霊的な効果というのは、実際には、ほとんどない、というのが、現実なのではないか、ということです。

 特に、亡くなった人々が、非常に迷惑に感じていることは、時々、地上の世界において、その人のことを思って、ものすごく強い念いを向けて、読経をしたり、何らかの宗教行事を行ってくることなのですが、それというのは、これは、みなさんが、どこか遠くに、個人的な旅行や、仕事で出張に出かけた時のことを考えてもらうと、非常に分かりやすいと思うのですが、つまり、亡くなった人々というのは、死後、幽界や地上の世界付近の、何らかのごちゃごちゃに巻き込まれていない場合には、たいてい、ある程度、落ち着いた霊界において、次から次へと、いろいろな新たな知識を得たり、新たな体験を積み重ねながら、はっきり言うと、もう全く別次元の世界の存在になってゆきつつあるので、それゆえ、そうした時に、もうあまり興味も関心もなくなりつつある地上の世界から、非常に強い執着の念を込めて、いろいろなことを、強く念じて、しゃべりかけてこられたりすると、非常に迷惑な感覚を持つことが多かったようなのです。

 ですから、私が思うには、もし、みなさんの身近な人が亡くなった場合には、時折、その人の写真や思い出の品を見ながら、何となく、その人のことを思い出したり、その人のために、ちょっとした、祈りを捧げるぐらいのことはしてもいいのかもしれないのですが、それ以上のこと、つまり、あまり強い念を込めて、その人の名前を呼んで、一生懸命、読経する、とか、その人のために、何か高額のお金を払って、大きな宗教行事を行うようなことは、本当は、あまり必要ないようなところがあったのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年8月2日 9:03 PM, Q&A  / おすすめ記事 / スピリチュアリズム、霊界



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