②多くの人々の単純な思い込みとは違って、たとえ、いっけん、無欲で、真面目そうな、学者や研究者であったとしても、当然、人間的な欲望や恐怖心もあれば、人間的な弱みや失敗も、必ず、あるものなので、それなりの調査やチェックのためのシステムを作っておかないと、その社会全体が、大変な危機に陥るような、重大な事態に陥ることがあるので、注意が必要である
第二には、これも考えてみれば、当たり前の話なのですが、よく考えてみると、現在の多くの国々の「知的エリート」と呼べるような、学者や科学者のうち、大半の人々は、普通の市民としては、全く知らないうちに、どこの誰とも、よく分からないような人々によって、選ばれ、そして、場合によっては、ほぼ一生、安定した収入が得られるような、言ってみれば、一種の既得権益者になっている、ということなのですが、ここからが問題で、もし、こういう形になっている場合には、これは、考えてみると、非常に恐ろしい話になってしまうのですが、もし、多くの市民に隠して、一部の隠れた特権階級のような人々が、一般市民の利益や安全を完全に侵害するような、研究開発やマインド・コントロールのようなことを行わせようとした場合、残念ながら、現在の民主主義社会では、ほとんど打つ手がないような、かなり危険な状況になってしまう、ということなのです。
これを防ぐ、最善の方法は、現在のところ、せいぜい、三つぐらいしかないのですが、それは、だいたい、以下のような内容になります。
まず第一には、特に、莫大な資金の使える、国家の直接の下請けと言ってもよいような大学や研究機関の人事や研究内容に関しては、一般市民としては、地域ごとに、かなり細心の注意を払って、具体的に調査やチェックを行うことが重要になります。
第二には、これは、とても難しい話になってしまうのですが、実は、現在の民主主義には、致命的な欠陥があって、それというのは、もし、国会議員、もしくは、それに準じた立場の人間に、その国の主要な産業、もしくは、学問や宗教や文化に関する、かなりのエキスパートのような人間がいない場合には、そうした知識の欠如、というか、統治の穴が原因になって、そうした分野において、後々から考えてみると、非常に莫大な損失や失敗を巻き起こす可能性がある、ということです。
実際、今日の民主主義社会における政治や経済上の失敗のほとんどは、そうした政治上の無知、もしくは、統治上の穴が理由で起きたようなものが、ほとんどなのではないか、と思われるのですが、それを防ぐには、市民の側としては、単に政治家を選んで、OKとするのではなく、そうした政治家や、あるいは、政治家の直属の人々の中に、現在の社会における主要な産業や学問や宗教や文化に関する最新知識を有する専門家のような人物が、しっかりいるかどうか、ということに関しては、常にチェックするようにしておく必要がある、ということが言えるでしょう。
第三には、これは、あまり聞かない話になると思うのですが、実は、多くの人々が思っているほど、学者や研究者というのは、あまり信用できないような要素も持っている、ということなのです。
その理由は、至極単純で、学者や研究者と言えども、聖人君子ではなく、単なる人間なので、当然、人間的な欲望や恐怖もあれば、研究や生活のためには、それ相応のお金も、かなり必要になってくるようなところがあるので、それゆえ、多くの人々が、何となく、無意識のうちに考えてしまうような発想、つまり、「先生は、真面目だから」、とか、「学者は無欲だから」、というような思い込みというのは、かなり違っていて、彼らも、巷の政治家や役人や、普通の学校の教師と同じように、それなりの人間的な失敗もあれば、間違いを犯すことだってある、というような、普通の人間的な物の見方を持つべきなのではないか、ということなのです。
ですから、こうした観点から考えてみる限り、私は、たとえ、いっけん、かなり立派そうに思われるような、学者や研究者であるとしても、普通の一般市民としては、そうした人々にも、当然、人間的な欲望や恐怖心もあれば、同じように、人間的な弱さや間違いもある、というような目で見ることが、とても大切なのではないか、というように、率直に感じております。
Cecye(セスィエ)