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Q&A 闇の勢力の連中の使う、少し変わった手口について Part 2

 文章が長いようなので、二つに分けました。

 

2、闇の勢力の支配の強い国や地方ほど、「先生」といった、特別な身分の人間が多くなってゆきがちなのだが、霊的に見た場合、この世的に、身分が上の人間は、下の人間を、目に見えない形で、霊的に支配しようとしてくることもあるので、できれば、よほどの、ものすごい人でもない限りは、自分より目上の立場を表す、「先生」という呼称は避けた方が、賢明である

 二つめには、これも、現代の普通の常識では、さっぱり訳の分からない話になってくるのですが、彼らは、とにもかくにも、「先生」、とか、「教授」、とか、「様」、と呼ばれるような、普通の人々よりも一段高い位につくことに、ものすごく執着する、ということです。

 普通の日本人の感覚だと、「先生なら、まあ言われた通りにしておけばいいか」、というような感覚になって、何も考えないことが多いのですが、霊的に見ると、こうした上下関係のたくさんある国や地域というのは、あっちこっちが、硬く、でこぼこに上下しているような、かなり歪んだ世界に見えるので、本当は、あまり良くない、ということです。

 私は、単純に、「そこそこ優れた人なら、何も先生、先生と言わなくても、普通、自然と、みんなから、それなりに尊敬されるようになるでしょう」、と思うので、それほど「先生」という呼び名に固執する必要はないのではないか、と思うのですが、これは、決して、すべてが悪いというわけではないのですが、そうした闇の勢力に加担しているような一部の人々は、「先生」や「教授」と呼ばれるような立場や、普通の人々よりも、一段上と仰がれるような立場の身分というものに、ものすごく執着するらしく、いろいろな理由で、国家の制度や法律で、そうした特別な立場や身分というものを、とにかく、たくさん作ってくるようなところがあったようなのです。

 それというのは、これは、その社会に、一度、ずっぽり浸かってしまうと、この世的には、もうなかなか、よく分からなくなってしまうことが多いのですが、要するに、霊的に見た場合、この世的に身分が上とされている人間の中には、目に見えないような、いろいろな霊的な手段によって、より身分が下の人間に対して、さまざまな肉体的、精神的干渉や、一種の支配力を行使してくることがあるからなのです(方法は、よく分からなくても、何かの機会に、突然、何となく、体が硬くなり、暗くなった、とか、何となく、被害妄想的になって、反抗的になった、とか、何となく、何でも言うことを聞かないと、気が済まない感じがしてきた、などというような、肉体的、あるいは、精神的効果だけは、たいていの人は、どこかで、一度以上は、実体験があるのではないでしょうか)。

 この場合、結論は単純で、とにかく、できれば、自分が、「先生」と呼ぶような人は、自分で選んで、自分の意思で、しっかり決めることと、それから、もし、自分の意思で決めたわけでもない、「先生」と呼ばれる立場の人に対しては、これは、別に、いちいち敵意を持って、対応する必要はないのですが、世間的に見て、もうよほどの、ものすごい客観的実績のある人でもない限りは、同じ平等な人間として、せいぜい、普通に敬意を表して、「さん」づけで呼べば、いいのではないか、というように考えております(それが、世間的にしづらい場合には、そうした心づもりで対応するだけでも、霊的には、大きな違いがあると思われます)。

※この点では、「幼子のようでないと、天国には行けない」、と教えられているキリスト教圏のように、よほどの偉い人でなければ、単純に、ファースト・ネームで呼び合うような人間関係の方が、単純に、人間として、お互いに、より幸福に感じられると共に、社会のあり方としては、より進歩しているのではないか、というように、私は、単純に感じております(近代化の遅れている国ほど、身分の上下感覚が強いので・・・)。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年3月1日 9:08 PM, Q&A  / 人生観、世界観



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