Light Symbol

「ワンネス主義」は、確かにある種の悟りや理想を表す尊い概念ではあるが、現実には、あまり良い結果をもたらさないことの方が遥かに多い Part 5

②「すべては、一つ」、「理想世界の建設」というような理想やスローガンを掲げると、多くの人々が、まるで魔法にかかったかのように、そうした理想を掲げる人物を「神」や「救世主」のように持ち上げてゆくことがあるのだが、たいてい、そうした試みは、大きな失敗や落胆をもたらすことの方が遥かに多い

 それと、もう一つ問題なのは、こうした理想主義を掲げると、なぜかその後、誰か、そうした理想を一番実現してくれそうな、たった一人の指導者に全権を委ねるような国家や組織の体制を作ろうとしてゆくことが、非常に多い、ということです。

 

どんなに偉い立派な人であっても、あまりにも高く理想化して、持ち上げて見てはいけないし、また、どんなにダメな悪い人であっても、はなから馬鹿にして、最低の人物呼ばわりしてもいけないようなところがある

 私は、そうした際の物の見方としては、確かにその指導者という人物は、政治面や軍事面、あるいは、学識や経営能力や指導力の面において、かなり素晴らしいものを持っているのかもしれないのだが、ただ、その人自身の日常生活の様子を見てみれば、別に普通の人間と全く同じように、お腹もすけば、トイレにも行くし、夜には寝たり、セックスすることもあるだろうし、また普通の人並みに、何か良い物を見れば、欲しいと思うこともあるだろうし、それから、不機嫌な時には、怒鳴り散らすこともあれば、家では、だらしない格好でゴロゴロ寝転がって、休むこともあるはずである、などというように、これは、基本的には、どんなに立派そうに見える人であっても全く同じであるのですが、そうした人物をある程度、理想化して、見てよい部分と、そうではなく、普段は、その辺のお兄さん、お姉さん、おじさん、おばさん、おじいさん、おばあさんと全然、変わらない普通の人間なのだ、と思って、見なくてはならない部分の両方の視点を、常にバランスよく見てゆくことが、とても重要なのではないか、というように考えております。

 ところが、私達の社会では、なぜか、こうしたバランスのとれた見方というのは、なかなか出来なくて、多くの人々の間で、いったん、この人は、凄い偉い人ということになると、「もう何から何まで、普通の人々とは全く違う、とてつもない偉い人」、というような見方に、すぐに凝り固まっていってしまったり、あるいは、その反対に多くの人々の間で、この人は、本当に馬鹿な悪い人ということになると、「もう何から何まで、普通の人々から完全に見下げられるような、とんでもない悪い人」、というような見方に、すぐに凝り固まっていってしまうようなところがある、ということなのです。

 ですから、私は、いっけん、どんなに素晴らしい偉い人物と呼ばれている人であっても、いったん、少し引いて、「そうした素晴らしい立派な人であっても、普通の人間と変わらない部分も、たくさん持っているのだ」、とか、その反対に、いっけん、どんなに馬鹿な悪い人物と呼ばれている人であっても、そう簡単には、全部決めつけないで、「そうした馬鹿な悪い人の中にも、普通の人間と変わらないような、まともな部分があるものだ」、というようなバランスのとれた物の見方をしっかりしてゆくことが、とても大切なのではないか、というように率直に感じております。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年10月7日 9:16 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観 / 宇宙文明、古代文明 / 宗教、道徳 / 政治 / 社会、文化



«

»

おすすめ記事

過去の記事