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Q&A 亡くなった人々とコミュニケーションするには、いったい、どうすればよいのか? Part 5

3、ゆっくりとした深呼吸を繰り返したり、一つのテーマについて、深く思索し続ける訓練をしてゆくと、この世的により賢く有能になるだけでなく、良い意味での霊的な感受性を高めてゆくことができる

 第三には、これは、あまり言われないことが多いのですが、現在の学校教育を受けた多くの人々は、何かあると、すぐに、「これは、先生に聞いたり、本で調べてみて、本当に合っているか合ってないか、確かめてみないと全然、自信がない」、とか、「え〜と、これは、すごく難しそうだから、とにかく、よく考えてみないと何だかわからない」、などと反射的に考えてしまう、というか、思ってしまう人が、かなり多いために実際問題として、こうした霊的なコミュニケーションをするための基本的な心の持ち方が全く出来ていない人が、あまりにも多過ぎる、ということなのです。

 つまり、何らかの霊的なコミュニケーションをするためには、少なくとも2〜3分ぐらいは、何もせずに静かに黙ったまま、自分の心の中で、一人静かに自問自答しながら、思索(深く考えてゆくこと)し続けることができる、とか、身の回りで起きる出来事から少しだけ意識を離して、精妙な意識の状態のまま、ちょっとした瞑想状態に入ることができる、というような自分の意識の統御が必要になるのですが、ところが、現在の学校教育を受けると、何をやるにしても、もうすぐに反射的に、「それが合っているか、合っていないか」、とか、「何だか自分には、全然わからない気がする」、とか、「そんな難しそうなこと、自分には、全然出来ないんじゃないか」、などと、すぐに不安に思い始めるようなところがあるので、実際問題として、なかなか、そうした霊的なコミュニケーションが出来るような、ある程度、精妙な意識の状態には、なかなか入れないことが多い、ということなのです。

 それでは、いったい、どのような精神的な訓練をすれば、そうした穏やかで精妙な意識の状態になれるようになるのか、というと、これは、いっけん、ちょっと難しそうなのですが、簡単なものから説明すると、だいたい、次のような二つの精神的な訓練をあげることができます。

 

①一日の中で、ごくわずかな時間でもよいから体の力を抜いて、ゆっくりと深呼吸を繰り返す訓練をすると、よりリラックスした、澄み切った平安な心身の状態を維持することができるようになる

 一つめは、これは単純明快、よく書店に置いてある瞑想の本に書いてあるような内容になるのですが、とにもかくにも一日の中で、ほんの少しの時間でよいので、体の力を抜いて、ゆっくりと何も考えずに(というか、呼吸に集中しながら)、息を吸ったり、はいたりするような訓練をすることがあげられます。

 これは、昔から瞑想の基礎のように言われていたような内容なので、あまり、ここで時間をさいて、お話する必要はないと思うのですが、要するに、ある程度、ゆっくりとした深呼吸を繰り返してゆくことによって、日頃の荒々しい自分の精神状態を、だんだん澄み切った精妙な精神状態に変化させてゆくことができる、ということです。

 

②一日のうち、数分程度でよいので、何らかの一つのテーマについて、深く思索し続ける訓練を続けてゆくと、自分の悩みや問題が減り、頭が良くなってゆくだけでなく、さらに良い意味での霊的な感受性も高めてゆくことができる

 二つめは、これは、あまり聞いたことがない方法なのではないか、と思うのですが、そのようにして、ほんの数分程度でも、ある程度、穏やかな精神状態を維持できるようになったら、これは、別にどんなテーマでも構わないのですが、何らかの宗教や哲学なテーマでもいいし、また、政治や経済や、あるいは、自分の日頃の学校や仕事や家事に関するテーマでも構わないのですが、ほんの数分程度でもいいので、そうした何らかの一つのテーマに絞って、ああだこうだと思索し続ける訓練をしてみることです。

 この際に大切なのは、別にそれほど、ものすごいアイデアが出なくても全く構わないので、とにもかくにも一度、決めた一つのテーマだけに絞って、最低でも数分程度は、ある程度、集中して、考え続ける、ということと、それから、そのようにして、ある程度、集中して、思索し続けている間は、あまり気が散るような他の人の会話や音楽やビデオといったものは控えて、自分の思索だけに集中することが、とても大切になります(逆に自分の意識が集中できるような、ゆったりとした音楽をかけるのは、良いこともありますし、ゆっくりと散歩しながら、そうした精神状態に入る方も、世の中には、少なからずいるようです)。

 それと、これも、とても大切なことになるのですが、そのようにして、たとえ数分程度でもいいから、自分が、あれこれ考えた内容は、その内容の良し悪しに関わりなく、できれば、手元にノートなどを置いて、メモしてゆくと、後で自分の考えた内容を客観的に見直すことができるので、とても便利である、ということです。

 さらには、こうした考え方の切り口を得るために、「ある一つのテーマについて、いろいろな観点から論理的に順序やつながりを追って、深く考え直してみる」、とか、「ある時点での自分の見方や行動を、今度は、相手の立場や、それ以外の第三者の立場から考え直してみる」、とか、「いつも自分が嫌だ、とか、出来ない、と考えていることの理由や、その解決方法を、もう一度、冷静に考え直してみる」、とか、「何らかのテーマについて、ブレーンストーミングのように思いつくだけ、いろいろなアイデアを考え出してみる」、とか、あるいは、「自分が、不幸に感じていることがあれば、その理由や解決方法を冷静に考え直してみたり、あるいは、もっと幸福に生きる方法を、もう一度、冷静に考え直してみる」、などという具合に、よく書物で紹介されているような論理的な考え方であるとか、創造的な考え方などをヒントにしてみることも、とても大切になります。

 このようなことに注意しながら、ある程度、最低でも数分程度は、自分が決めた一つのテーマをじっくりと考え続けることができるような能力がないと、霊的なコミュニケーションをする以前に、普通の学校や仕事や家庭での生活にすら、わりと簡単につまずいてしまい、その結果、いつまで経っても、同じような間違いの繰り返しをしてしまう、とか、いつまで経っても、雑々とした慌ただしい毎日の繰り返しになってしまう、とか、いつまで経っても、何の変化も代わり映えもしないワンパターンの自分のまま、数十年が過ぎてしまう、などというような状況になりがちなので、本当は、こうしたことは、十代ぐらいのうちから、ある程度、身につけておいた方がよい内容なのではないか、というように私は感じております。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年9月11日 9:32 PM, Q&A  / スピリチュアリズム、霊界 / 瞑想



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