先週は、ちょっとセンセーショナルな記事が多かったので、今週は、もう少し地味な内容にしたいと考えているのですが、今日は、日本人なら誰でも考えそうな素朴な疑問について、書いてみたいと思います。
1、肉体の死後、その人自身の意識は、霊として、すぐに肉体を離れてしまうにも関わらず、現在の地球の文化では、いつまで経っても、もはや、その人自身とは全く何の関係ない死体や骨の方ばかりを注目し続けようとする点で、霊的宇宙的には、かなり異常な習慣のように判断されている
まず第一には、現代の地球であると、たいてい、誰か亡くなると、その直後に葬式をしたり、あるいは、その後も一定期間ごとに、何度も法事のようなことを執り行なったりするのですが、霊的宇宙的に見ると、こうした葬式の習慣のある文化というのは、かなり奇異な目で見られている、ということです。
その理由は、単純なのですが、これは、昨今のスピリチュアルな知識をよくご存知の方には、もうほとんど常識のように感じられるような霊的な事実なのではないか、と私は思うのですが、とにもかくにも普通、人が亡くなった場合には、たいてい、そうした死の直後か、あるいは、長くても、せいぜい数日程度のうちに、その人自身の意識の本体とも呼べるような「霊」は肉体から離れてしまうので、霊的に見る限り、肉体的な死後のその人の個性というのは、もはや肉体から離れた霊の方にあるのであって、その後に残った肉体や骨や、生前のその人の持ち物のようなものというのは、原則、その人とは、一切関係なくなってしまう、ということなのです。
ですから、そうした目で見る限り、霊的宇宙的に見ると、現在の地球の文化でよく執り行なわれている葬式の文化というのは、それまで非常に仲良く一緒に過ごしていた人々が、突然、肉体の死を機縁にして、その人の魂自身には、ほとんど何の関心も持たないばかりか、何の声もかけないような、ほぼ完全無視の行動を取るようになると同時に、なぜか、もはやその人の魂自身とは全く何の関係もない、かつてのその人の死体であるとか、焼け残った骨の方にのみ、みんなの関心が行ってしまう、というような、言ってみれば、人間関係上の一種の異常事態が発生しているように見えていた、ということなのです。
Cecye(セスィエ)
2011年9月5日 9:25 PM, おすすめ記事 / コラム / スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観 / 宇宙文明、古代文明