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何かやる時には、できるだけ心から楽しんでやる精神的習慣を身につける Part 5

⑤現代の社会では、すぐにまじめな性格の人と遊び好きな性格の人がまっ二つに分裂してゆく傾向があるので、まじめに一定の目標や成果を達成し続けてゆく部分と、毎日遊ぶように何でも楽しんでゆく部分をしっかり融合してゆく必要がある

 第五には、これはあまり考えたことのない人が多いのではないかと思われるような内容になるのですが、どうも世の中を見ていると、まじめな人は一日中、ずっとまじめな性格を維持しようとし続けるし、また遊びが好きな人は一日中、ずっと遊び続けようとするような傾向があるようなのですが、私は、人間として生きる上においては、こうしたまじめな性格と遊ぶ時の性格を、もう少し上手にうまく切り替えながら過ごしていった方がよいのではないか、というように考えています。

 これは、いったい何を言っているのか、よく分からない方も多いのではないかと思われるので、もう少し分かりやすく説明してみたいと思うのですが、要するに世の中の多くの人々の様子を見ていると、いつもまじめな人というのは、勉強している時も仕事している時も、家でくつろいでいる時も一日中、ずっとまじめな精神状態で生活していることが多いのですが、その反対にいつも遊んでいるような人というのは、勉強している時も仕事している時も、家でくつろいでいる時も一日中、ずっと遊んでいるような精神状態で生活していることが非常に多いということなのです。

 さて、こうした大きく二種類の性格の人々がいた場合、この世界においては、いったいどのようなことが起きてくるのかというと、まず前者のいつもまじめな性格の人というのは、たいてい勉強や仕事といった自分に与えられた問題や課題に対して、非常に熱心に取り組んでゆくことが多いので、学校では優等生、社会では経済力のあるビジネスマンやビジネスウーマン、それから家庭では信頼できる「お父さん」、「お母さん」になることが多いのですが、ところが、ここで問題なのは、それでは、その人個人として、「あなたは毎日、幸せですか?」と尋(たず)ねたとすると、おそらく、その中の2、3割ぐらいの人しか「自分は、本当に幸せです」とは答えられないのではないか、ということなのです。

 その反対に、わりと毎日遊んでいるような性格の人というのは、学校では、まあ何となくいるという程度、また社会では、それほど飛び抜けた業績は上げないけれど、何となく仕事しているという感じか、もしくは普通の世間の人々から見ると、いったい何の仕事をしているのか、よく分からないような変わった仕事についているというような感じで、それから家庭では「お父さん」、「お母さん」というよりも、親だか友達だか、よく分からないような子供の話がよく分かるどころか、一緒に子供と遊んでしまうような、いわゆる「友達パパ」や「友達ママ」のような存在になっていることが多いのですが、それでは、その人個人に同じように「あなたは毎日、幸せですか?」と尋ねたとしたら、おそらく、その中の7、8割の人は、みんな「自分は毎日、結構楽しく過ごしています」とか、「自分は幸せです」と答えるのではないかということなのです。

 つまり現在の世の中では、不思議なことに、まじめな人々は、いっけん非常に成功した生活をしているにも関わらず、精神的には、それほど幸せでないと感じていることが多くて、その反対に毎日遊んでいて、社会的には、いっけん、それほど成功したわけでもないような人々が、精神的には、わりと幸福に過ごしていることが多いというような変なパラドックスが成立しているということなのです。

 それでは、こうした世の中の状況において、多くの人々が毎日、もっと楽しく幸せに過ごしてゆくためには、いったいどうすればよいのかというと、現在のところ、次のような三つの方法が考えられます。

 

①自分に与えられた目標を達成したり、成果を上げることにはしっかり努力するが、だからと言って、いつも無表情で不幸な精神状態でい続けるような命令や指導方法に対しては、断固として拒否することがとても大切である

 まず第一には、これは現在の学校教とは、真っ向から対立するような考え方というか、行動指針になってくるのですが、とにもかくにも「何か真剣に取り組め」と言われたら、そこで求められている一定の目標を達成するとか、一定の成果を上げることにはしっかり努力するが、だからと言って、そうした努力の過程で「いつも仏頂面(ぶっちょうづら)で、ずっと無表情のままやれ」とか、「少しも笑ったりして楽しんではいけない」とか、「とにかく体を硬くして、言われた通りにしていればよい」というような指導方針に対しては徹底的に拒否して、「いつも何らかの目標を達成し、成果を上げる際には、できるだけ楽しんでやる」とか、「できるだけリラックスした体や精神の状態で取り組むようにする」とか、「少しでも、より楽で合理的なより良い楽しい方法があったら、即座に取り入れる」というような態度を取るのが賢明なのではないか、ということです。

 

②まじめに学んだり働いたりする時間と、リラックスして学んだり働いたりする時間をうまく分けて、使い分けるようにしてゆく

 第二には、これは学習や仕事にもよるのですが、「この作業だけは、どうしても一切ミスがないように真剣にやらなくてはならない」とか、「ここでニコニコ笑ってしまうと、この仕事が台無しになってしまう」とか、「これは人命に関わる仕事なので、どうしても誠心誠意を尽くして、まじめにやらなくてはならない」というようなケースの時だけは、まじめな顔で真剣に取り組むけれども、そうではない、それほど神経を使うわけでもなければ、それほどまじめな表情をしていなくてもよいというようなケースの場合には、もう思い切って自分の性格を切り替えて、「今は無表情の真剣タイム」、「だけど今は、ニコニコしたサービスタイム」などという具合に、その時々の状況に応じて、まじめな真剣な態度で取り組まなくてはいけない時間と、そうではなく一応、一切手抜きなく、しっかりとした学習や仕事はするけれども、できるだけ、くつろいで楽しんで学習や仕事に取り組む時間というのをしっかり分けてゆくようにすればよいということです。

 

③まじめではあるが、日頃、あまり幸福感を感じられないタイプの人は、自分が心から楽しめそうな新しい学びや仕事や趣味を探し直してみるか、もしくは、いつも楽しそうに過ごしている人々の楽しさの感覚について、もう一度、一から学び直す必要がある

 第三には、これは、ちょっと意外な話かもしれないのですが、この場合、どちらかと言うと、日頃からまじめに生活しているにも関わらず、あまり幸福を感じていない人の方が問題なので、そちらについて述べるのですが、とにもかくにも、こうしたまじめな人に関しては、私は、まじめなことは全く構わないと思うのですが、もし現在の自分をよくよく冷静に見直してみて、あまり幸福を感じていないということに気付いた場合には、次のような二つの対策をとることを勧めます。

 一つめは、基本的に現在の学習や仕事や生活のスタイルは、よほどのことがない限り絶対に崩さないというような前提において、普段の学習や仕事の時間以外の個人的な時間において、はっきり言うと、別に行き当たりばったりで全然構わないのですが、前にも述べたように、何か自分が楽しめるような新しい学びや仕事や趣味のようなものがないかということを、手当たり次第にいろいろ当たってみることを勧めます。

 二つめは、これは、ちょっと不思議に感じる方が多いのではないかと思われるような内容になるのですが、テレビでも街中でもよいので、別に自分が直接やらなくてもよいのですが、何か楽しそうに過ごしている人がいたら、その人は、いったい何を楽しそうにやっていて、その行為のいったい何をそんなに楽しそうにしているのかということを、ちょっと冒険みたいなつもりで、いろいろ観察してみることを私は勧めます。

 この場合には、自分に合わないものもたくさんあるはずだし、また場合によっては自分の身を持ち崩す危険があって、あまり良くないのではないかと思われるものもたくさんあるので、ちょっと距離をとった感じで見ることが大切になってくるのですが、それはともかくとして、要はこうしたまじめ一筋の人というのは、現在の自分というのは、ちょっと幸福な感覚に疎い、言ってみれば、一種の不感症というか、一種の精神病のような状態になっているだということを、よくよく自覚することがとても大切なのではないかということなのです。

 そして、そうした人というのは、もし今のままの学習や仕事や生活をし続けているのであれば、たとえ、この世的には、そこそこうまく行ったとしても、やがて数十年後の時点で、「自分は、本当に幸福な人生を過ごせたのだろうか?」ということをある程度、冷静に考え直してみることになった際には、はっきり言うと、「結果的に自分は大損したのではないか」と判断ことになる可能性があるので、本当は、できるだけ早く何らかの適切な対処が必要なのだということを、よくよくしっかりと理解する必要があるということなのです。

 ですから、こうしたまじめではあるけれども、人間としての自然な幸福感があまり感じられないような性格の人の場合には、人間としての基本に立ち返って、「普通の人々は、いったいどんなことを楽しいとか、幸福であると思っているのか」とか、「普通の人々は、いったい何を不幸と感じていて、いったい何をした時に最も幸せであると感じているのか」ということを、もう一度、冷静に観察して学び直す必要があるということなのです。

 このように現代の社会では、すぐにまじめな性格の人と遊び好きな性格の人が真っ向からまっ二つに分裂してゆくような傾向があるのですが、冷静に見る限り、たとえまじめな人間として社会的には、そこそこ立派に生きられたとしても、一生不幸な精神状態で生き続けてゆくのであれば、結果的には、その人の人生は大損だったということになってしまうし、また単に遊び好きな性格のまま自分の人生を、どこかで棒に振ってしまうような生き方をするのも、決して幸せな生き方であるとは言えないので、それゆえ人間として生きる上においては、常にまじめに一定の目標や成果を達成し続けてゆく部分と、毎日遊ぶように何でも楽しんでゆく部分をしっかりバランスよく融合してゆくことがとても大切なのではないか、ということなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年8月24日 9:07 PM, 人生観、世界観



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