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何かやる時には、できるだけ心から楽しんでやる精神的習慣を身につける Part 3

③いつも楽しめない性格の人には、決まった共通点があるので、それを克服するためには、常に自分に対して肯定的な自己評価をし続けてゆくことと、自分の努力や成績の記録をとってゆき、時々、それを見返して自分自身の客観的で正確な自己評価をしっかりと固めるようにしてゆけばいい

 第三には、これはあまり聞かない考え方なのではないかと思われる内容になるのですが、実は何をやるにしても全然、楽しめないような人には、決まって次のような二つの共通点があるということなのです。

 一つは、常に何をやるにしても、すぐにケチをつけて、「この程度じゃ全然ダメなんだ」とか、「まだまだ全然、出来てないな」などという具合に何をやるにしても、すぐに欠点というか、マイナスの点を見つけて、それを自己確認してゆくような性質があるということです。

 二つめは、これも結構多いのですが、何をやるにしても、「あの先生や上司は、どう言うだろうか」とか、「誰それと比べると、こんなもの大したことない」などという具合に、すぐに誰か自分より上の先生や上司に当たるような人間の評価や成績のことばかりを考えたり、あるいは、すぐに周りにいる人々や自分のライバルと比べて、「良い」、「悪い」ということを判断しようとするような性質があるということです。

 つまり何をやるにしても楽しめないような人というのは、すぐに低い自己評価を下したり、あるいは、すぐに他の人々の目を中心に自分の行動を見てゆくようなところがあるということなのですが、これも残念ながら、いつも家庭で親から散々兄弟や姉妹の間で比べられては、いろいろな小言や説教のようなことを言われた人や、あるいは、いつも学校で「君は100点ではない(つまり完全でない)」とか、「君は、誰それと比べると20点低い」とか、「お前は全然、出来ていない」などと散々言われ続けた人が陥りやすい精神的な傾向の最たるものなのではないかと私は思うのです。

 ところが、今述べているような「自分は、いつも低い自己評価ばかりしてしまう」とか、「自分は、すぐに他の人の目ばかり気にして、物事を全然、楽しめない性格なのではないか」などと感じるような人というのは、もしどこかの時点で自分の性格変更のための何らかの努力を始めない場合には、残念ながら今後、何年経っても、あるいは何十年経っても、今とほとんど同じような不幸な精神性のまま、死ぬまでずっと過ごしてゆくことになる可能性が非常に高いということなのです。

 それでは、こうした精神性の人は、いったいどのような努力によって、長い間培ってきた自分自身の不幸な精神性を変更してゆけばよいのかというと大体、次のような二つの方法が考えられます。

 まず第一には、これはあまり実践した方は少ないのではないかと思われる方法になるのですが、とにもかくにも自分が何かやるたびに、他の人が何と言おうが、まるで独り言のように「今のは、前よりずっと良くなった」とか、「自分としては、これは良い出来だ」とか、「凄い」、「素晴らしい」、「最高の出来だ」などというように、いつまでも他の人々の良い言葉を期待して待っていても全く仕方がないので、これまで他の人々から勝手に評価され続けてきた部分を穴埋めするために、自分自身で自分の行動に対して、できるだけ肯定的かつ積極的な自己評価の言葉を発するように心掛けてゆくことです。

 第二には、これもあまり聞いたことのない方が多いのではないかと思われる方法になるのですが、現在、自分が毎日のように取り組んでいることを、何となくそのままダラダラとやり続けるのではなくて、できれば、たとえ最初はどうしようもない程度の内容であったとしても、毎回毎回、スポーツ選手のように紙やコンピューターなどにしっかりと記録をとってゆき、そして時々、そうした記録の見直してみて、自分の成長や努力の跡を冷静に、わりと客観的な態度で自己確認してみることがとても大切になります。

 それというのは、とにもかくにも自信のない人というのは、「自分が、これまで何をやってきたのか」とか、あるいは「自分は、これからどれくらい何が出来るのか」ということが、いつ聞いてみても非常に漠然としていて、そして何が何だか自分自身としては、全然分かっていないようなところがあるからなのです。

 その反対に自信のある人というのは、たいてい、それが過去の良い結果であったとしても、また過去の悪い結果であったとしても、非常に冷静にはっきりと受け止めていて、そして「自分が、これまでやってきたことは、具体的にこういうこと」とか、「自分が非常に苦労して失敗したことは、こういうことだが、そこまで行かないレベルのこれくらいのことなら、多分、今でも、ちょっと努力すればできるかな」などというように、わりと客観的な態度で、これまで自分がやってきたことをかなり冷静にはっきり理解できていることと、もう一つは、たとえ出来ないことがあったとしても、その原因の把握や、また、どの程度のレベルのことまでなら自分が対処できるのかということまで、かなりはっきりと理解できているようなところがあるからなのです。

 つまり自信のある人と自信のない人の違いは、ずばり日頃のいろいろな経験の量と、それに対する客観的な自己評価が、いったいどの程度、しっかり出来ているかということに尽きているようなところがあるので、もし現在の時点で自分にあまり自信のない人は、毎日、何となく漠然と行動を積み重ねるのではなく、まるでスポーツ選手のように毎日毎日の自分の行動を紙やコンピューターなどにしっかり記録してゆき、そして時々、それを眺め返しては「自分の昨日の記録はこれで、今日の記録はこれ」とか、「半年前の自分の記録と今の記録を比べると、自分は、ずいぶん進歩したんだな」とか、「この記録によると、こんな単調なことをずっと続けている自分は、結構偉いんだな」などという具合に、もう少し客観的な態度で、冷静な自己評価をできるようにしてゆけばよいということなのです。

 このように、もし自分が何をやるにしても、あまり楽しめない性格の場合には、今述べたような二つの行動の積み重ねによって、少しずつ自分の性質を変更してゆくことがとても大切になってくるということが言えるでしょう。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年8月22日 9:11 PM, 人生観、世界観



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