②現在の自分自身の性格にあまりこだわらずに、その時々の状況に応じて、まるで役者の演技のようにいろいろな性格のキャラクターを演じ分けながら、自分が最も楽しめ、かつ周りの人々に対しても、最も貢献できるような幸福な時間を過ごしてゆくという方法もある
第二には、これは少し難しいのですが、学校や会社や、あるいは家庭の中で、「ここは、とにかく真面目そうに真剣に振る舞わなくてはならない」とか、「ここは、とにかく羽目を外して、めいっぱい楽しく面白おかしく過ごすべきだ」とか、「ここはユーモアのセンスをめいいっぱい発揮して、周りを明るくしなくてはならない」とか、「ここは、とにかく仕事に集中して出来るビジネスマン、出来るビジネスウーマンのように、テキパキ確実に仕事を終わらせてゆかないといけない」とか、「ここは、とにかく優しいママ、話の分かるパパを演じないと、家庭がごちゃごちゃになってしまう」などというように、その時々に自分が、その場において要求されている何らかの役割というものをあまり真剣に考えずに、言ってみれば、単なる役者のような気分で、パッパッと性格を切り替えるように変えて、次々と演じ分けるようにしながら乗り切ってゆくような方法もあるということです。
これは劇団や学校の演劇部などで役者の訓練を受けたことのある人にとっては、「ああ、なるほど」と、わりとすぐに受け入れられるような考え方なのではないかと思うのですが、残念ながら普通の学校教育を受けただけの人だと、ちょっとすぐには受け入れづらい考え方なのではないかと私も思うのですが、それは、いったいなぜなのかというと、とにもかくにも現在の学校教育においては、「常にまじめに真剣に取り組まなくてはいけない」とか、「勉強を適当にやっている人は、必ずテストでいい成績が出せない」とか、「まじめに努力してない人は試験で落とされて、自分の希望進路には絶対に行けなくなる」などというように、常にどの人も一定の緊張感を強いられ、一定の真面目な姿勢を強要され続けてゆくようなところがあるので、そうした形で、その時々の状況に応じて、自分の性格を自分自身の意思でころころ変えるなんて、とてもできないなどというように、かなり強く思い込まされてゆくようなところがあるからなのです。
ところが、これはよく考えてみると明らかに間違っていて、例えば、元々は、ちゃらんぽらんな性格だった人も厳しい私立学校や軍隊などに入ると、まるで根っから人が変わったかのように、何でもきっちりとこなす真面目な人間に変わってしまうことがあったり、あるいは、元々はかなり真面目な人であったとしても、暇を持て余したお金持ちの子弟がたくさん集まっている私立の学校や国民のお金を食いつぶす、とんでもない贅沢だらけの特殊法人のようなところに入ってしまうと、まるで根っから人が変わったかのようにいつも面白い遊びばかりを探し求めるようになったり、朝から晩まで贅沢し放題のとんでもない享楽だらけの生活をしても、何とも思わないような人間に変わってしまうこともあるなどというように、実際には多くの人々は、家庭や学校や仕事場といったその人の置かれた環境によって、数年、数十年経つうちには、かなり大きな性格上の変化が起きるようになるものなのです。
それゆえ、こうした環境の変化による自分の意思とは違う不本意?かもしれない性格の変化ではなくて、それを自分自身の明確な意思によって、その時その時の状況に応じて、自分が最も楽しめ、かつ周りの人々も最も楽しめるような、あるいは、自分が最も充実し、また周りの人々に対しても最も貢献できるような性格に必要に応じて、どんどん変えられるようにしてゆけば、現在の人生というのは、もっともっと楽しい充実したものになってゆくのではないかということなのです。
Cecye(セスィエ)
2011年8月21日 9:09 PM, 人生観、世界観