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よく日本人全体に昔の戦争の戦争責任があるみたいな説明が行われることが多いが、実際には当時の大多数の日本人には、ほとんど何の戦争責任もなかったのではないだろうか Part 6

 さらに付け加えると現在の日本の憲法における「天皇」に関する条文についてなのですが、はっきり言って、この天皇についての最初の一文は、まだ戦後の混乱が続いていた当時の日本におけるGHQの統治上の理由として、「天皇の政治権力をそのまま残しておくと、また訳の分からない大軍事行動を何度でも起こしそうで国際的にとても危険なので、天皇の政治権力はすべてなくす代わりに、一応天皇制の形式だけはそのまま残しておくから、天皇親派の一部の過激勢力も絶対内乱を起こすなよ」というような政治的な理由から設けたと思われるのですが、ただ、これははっきり言って申し訳ないのですが、その昔も当時も今も現在の憲法の条文に書かれているような内容、つまり「天皇が日本国の象徴(?)になっている」とか、「天皇が日本国民統合の象徴(?)になっている」なんて事実はほとんどなかったし、また、こうした憲法の条文が「日本国民すべての総意(すべての国民の意思?)に基づいている」なんて事実も全くなかったのではないかということです(よく巷で言われるように現在の日本の憲法は、当時の日本人全員の国民投票によって決議された正式な憲法ではなく、当時、日本を占領していたGHQの都合による、ある意味で不当な押し付け憲法のような要素もあったという点は、私も認めますが・・・)。

 つまり国や国民統合の象徴を、一般庶民のように日々額に汗して働くわけでもなく、税金をたくさん収めるわけでもなく、また軍事的な危機の時に真っ先に矢面に立って、自ら国を守るために戦うわけでもないような生まれながらにして普通の人とは全く違う、ものすごい贅沢な生活をしている国王や貴族のような人間にしてしまうのは、かなり問題があるのではないかということです。

 

 それから当然ですが、考古学的に言って、昔の「皇紀」と呼ばれる日本独自の暦の正当性は全く認めることができないはずなので、現代では、もう時代遅れの感もある「昭和」や「平成」のような日本独自の暦である「元号(年号)」を定める必要性も全くないのではないか、というように私は考えています。

※おそらく、こうした元号の元は、昔の中国で「○○皇帝の治世になってから○年目の年、○○があった」というような歴史の記録にすぎないと思われるのですが、これは、せいぜい国が続いて数十年とか、数百年というような、かなり短い歴史の記録を想定したものだったと思われるので、現在のように千年、二千年単位で歴史を考える時代の暦としては、ほとんど意味がないのではないでしょうか。

 

Cecye(セスィエ)

2011年8月6日 7:10 PM, 政治 / 歴史 / 社会、文化 / 経済 / 軍事



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