3、死後の最後の審判の後、永遠の天国や地獄に赴くというような霊界観に関しては、古代や中世に成立した宗教では、意外と当時の権力者の都合で善悪が、ぐにゃぐにゃにねじ曲げられていたようなところがあるので、非常に注意が必要である
第三には、これは主として西洋に多い霊界観になるのですが、この世において何らかの宗教において「善」とされていることを一生懸命行った人は、死後、一定期間を経た後に永遠の天国に導かれ、また「悪」とされていることを行った人は、一定期間を経た後に永遠の地獄に落とされるというような霊界のイメージになります。
この場合、このブログでも何回か取り上げてきているように多くの人々の単純な思い込みと違って、そうした宗教で説かれている「善悪」というのが、意外とそうした宗教や政治の指導者の都合でねじ曲げられているようなケースが多いので、そうした言ってみれば、人間の作為による善悪の内容というのは、霊的に見た場合、本当はあまりそうした死後の審判に関係しないというような霊的な事実があるのですが、そうではなく、「これは人間的に考えて、どう考えてもいいことだろう」とか、「これは普通、どう考えてみても悪いことなんじゃないのか」と思われるような内容に関しては、結構それなりに合っているようなところもあります。
多くの信仰深い人々の思い込みと違って、古代や中世の時代に一流の宗教家や預言者として活躍したような人々が次々と生まれ変わっては、近現代の民主主義や科学や経済の発達に大きく貢献したようなところがある
ただ、こうした宗教の問題点は、そうした宗教が成立した年代が古代から中世にかけての時代がほとんどであるために、実際問題として古代や中世の時代であれば、そうした宗教を信じることによって、それなりの現世的な幸福も得られたかもしれないのですが、前にも何度か述べたように近現代以降の時代は全世界的な潮流として、そうした宗教とは全く正反対の価値観がだんだん主流になってゆくような流れになっていたので、これは、はっきり言って申し訳ないのですが、私は、もしそうした古代や中世に発祥した宗教による価値観と、近現代に発達した民主主義や科学的合理主義が対立した場合には、できれば、あまり社会的な対立や混乱はない方が望ましいのですが、基本的には近現代に発達した民主主義や科学的合理主義の方を、できるだけ自分の判断や行動の指針にしていった方が賢明なのではないか、というように感じております。
それというのは、これは現代であると霊的には、まだあまりはっきりとは主張されていないような霊的な事実になるのですが、実は近現代における民主主義や科学や経済の発達には、古代や中世の時代であれば、間違いなく一流の宗教家、もしくは預言者のような仕事(権力者のお抱えの宗教家のような仕事ではなくて)をして活躍していたような人々がたくさん生まれ変わって、そうした民主主義や科学や経済の発達に貢献したようなところがあるからなのです。
ですから、これは信仰深い人々は少し驚かれるような内容かもしれないのですが、実は、そうした信仰深い人々が深く信じている本当の神、つまり、この宇宙の創造主の立場としては、近現代になると、どちらかと言うと、それまでの伝統的な宗教勢力の側ではなくて、民主主義国の勃興や学問や科学の発達の方に非常に力を入れて応援していたような側面があったということが言えるでしょう。
Cecye(セスィエ)
2011年7月20日 9:18 PM, Q&A / スピリチュアリズム、霊界 / 宗教、道徳