今回も、前回に引き続き、前に書いた文章からの抜粋になります(途中からで、分かりづらい方は、もう少し前の所から、お読みになることを勧めます)。
宇宙の原初の段階における創造の経緯について
少し話が外れますが、それでは、こうした「認識が、即、存在である」というような認識的存在論の観点に立って、この宇宙の最初の創造の経緯というものを、もう一度、あらためて考え直してみると、一体、どのような推測が成り立つのかというと、これは、少し難しい概念になるのですが、こうした認識的存在論の観点に立って、そうした、この宇宙における最初の創造の時点における主要な出来事というものを、あらためて、推測し直してみると、大体、以下のような五つの内容になるのではないか、と思われます。
宇宙の原初の段階における創造の経緯①―元々、ただの「無」や「虚」のような存在が、自分自身の感覚や感情に目覚めて、少しずつ進化の過程を歩み始める
まず第一には、これは、この宇宙の創造主にしても、本質的には、全く同じであった、というように、私は考えているのですが、要は、この宇宙の進化の歴史というのは、基本的に、最初は、全く何の感覚もなく、全く何の思考もできないような、ただの「無」、もしくは、「虚」のような存在が、ある時、何らかの感覚や感情に目覚めて、自分自身の認識(要するに、感じたり、考えられるようになった、ということ)というものを持つようになり、次いで、自分の周りの世界に関する認識を持つようになった上で、その後、本当に気が遠くなるほどの永い永い歳月をかけながら、そうした認識というものを、だんだん拡大してゆき、そして、さまざまな能力というものを、だんだん身に付けていった、というのが、この宇宙の生命誕生の歴史なのではないか、ということです。
Cecye(セスィエ)
2011年6月15日 9:01 PM, アセンション・シリーズ 4