2、これまで長い間、人類が信じ続けてきた、お金自体の価値を、ものすごく強く信じるような「お金教」の時代が、現在、少しずつ緩んで、終わり始めようとしている
第二には、これは、少し理解しづらい内容になるのではないか、と思うのですが、実は、現在の経済社会を成り立たせている、お金の価値自体が、霊的宇宙的に見ると、これは、一種の宗教というか、一種の信仰に過ぎないようなところがある、ということなのですが、そうした、多くの人々の間に、絶対に動かしがたいような、お金自体のものすごい価値を受け入れさせている、というか、信じ込ませている、「お金教」(よく「拝金主義」などと言いますが)のようなもの自体が、やがて、もうすぐ訪れるアセンションを、かなり明確な境にして、だんだん廃れてゆき、なくなってゆくような流れになってゆく、というのが、霊的に見ると、現在の時点で、ほぼ確実な未来のシナリオとして、見えるようになり始めている、ということなのです。
これも、こうした短い説明だけで、多くの人々の十分な理解と納得が得られるように、うまく説明するのは、かなり困難であるというように、私も感じるのですが、要は、現在、多くの人々が、信教の自由によって、自分が、最も好きな、あるいは、自分が、最も価値を感じるような宗教を自由に選べるのと、ほとんど同じような理由でもって、もう少し先の未来になると、自分が、最も好きな、あるいは、自分が、最も価値を感じるような価値の媒体(これが、現在だと、たいてい、多くの人々にとっては、お金や財産になっているのですが)というものを、ある程度、自由に選べるような時代に移り変わるようになってゆく、ということなのです。
長い人類の歴史の中では、国家の繁栄と衰退の歴史は、そのまま、その国のお金の流通と没落の歴史だった
これは、よくよく冷静に、人類の歴史を調べ直してみれば、はっきり言って、誰でも分かるような内容なのではないか、と私は思うのですが、遥か昔の原始的な社会では、お金なんて、全くなくて、何か自分が欲しいものがあれば、他の人から、直接、譲り受けるか、もしくは、自分の持っている物と、何らかの形で交換するような、いわゆる、「物々交換」の社会であったはずなので、おそらく、そうした社会では、現在のような、お金のようなものを見せたとしても、「お前、ちょっと、アホと違うか!」(原始言葉を関西弁風に翻訳)、とか、「そんな役に立たんもの、いらへんでー!」、とばかりに、多分、誰も相手にしてくれなかったはずなのです。
ところが、人類の歴史のある段階から、非常に強力な支配者が登場するようになって、やっと、その段階でもって、そうした権力の力でもって、なかば強制的に、「物々交換しなくても、国家が保証するから、この紙や金属の塊で、価値の代用をしなさい」、などと、多分、多くの人々に対して、かなり強制的に一方的に受け入れさせるようにしたのが、そうしたお金自体の、そもそもの始まりであったはずなのです。
当然、そうしたお金の価値は、国家のしっかりとした後ろ盾がある時のみ有効なので、それゆえ、人類の歴史を見てみると、国家の興亡の歴史は、そのまま、その国のお金の興亡の歴史とばかりに、ある国が栄えるようになると、それにつれて、その国のお金も、どんどん価値が増して、増えてゆき、より広い範囲で使われるようになるのですが、やがて、時代が下って、その国が衰退するようになると、それにつれて、その国のお金も、どんどん価値が下がって、減ってゆき、そして、だんだん、ほんの一握りの狭い範囲でしか通用しなくなってゆく、などというように、お金の価値というのは、まさしく、そうしたお金を発行しているその国の栄華と衰退の状況を、そのまま如実に表し続けるような、一種のバロメーターのような役割をしていた、ということなのです。
Cecye(セスィエ)
2011年3月9日 9:21 PM, アセンション後の世界 / 政治 / 歴史 / 社会、文化 / 経済