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霊界の真相 Part 2

2、たとえ、どんなに素晴らしいと言われるような宗教であったとしても、あまりにも強く、その宗教独自の世界観に基づいた信念を持ち過ぎていると、本当の霊界とは全く異なる「疑似霊界」の中に取り込まれることになってしまう

 第二には、これは、よくよく考えてみると非常に不思議なことであるのですが、たいていの宗教の場合、そうした宗教上の「偉い」と言われる覚者や聖者の絵や像を拝んだり、また「尊い」と言われる教えの本を読んだり、そうした話をよく聞くことは、非常に推奨されるのですが、ところが、そうした宗教上の覚者や聖者の霊的体験や神秘体験を再体験するために、何らかの霊的な修行を行うような段階になると、次のような三つのことは非常に熱心に行うのですが、なぜか、その核心に迫るような重要な内容に関しては、ほとんどの場合、完全なタブーにして、たいてい絶対にやらせないようにしていることが非常に多いのです。

 

①あまり固定的な強い念を持ちすぎるような祈りをしていると、かえって神仏の率直な考えやメッセージが、何も聞き取れなくなってしまう

 まず第一には、「祈祷(きとう)」、つまり、神や仏のような何らかの尊い存在に対して、心を清めて、一心に祈るようなことがよく行われるのですが、ところが、よく考えてみると、そうした何らかの尊い存在というのは、実際に生きていて、いろいろと気軽に意見交換ができるような人間のような存在ではなく、そうではなく、言ってみれば、「仏陀なら仏陀」、「キリストならキリスト」などという具合に祈祷する側が、完全に一つの確定した、がっちりとしたイメージを持って、一方的に強力な念、というか、自分の気持ちをぶつけ続けているだけのことが多いので、それゆえ、これは、はっきり言って申し訳ないのですが、もし、そうした祈祷されている側の神や仏が、何らかの意見やメッセージを送ろうとしていても、基本的には、そうした祈りをしている側の人達には、ほぼ完全に全く不通の状態になってしまうのではないか、ということなのです。

 

②あまりにも確定した宗教的世界観のイメージや言葉ばかり、強く念じ続けるような瞑想をしていると、本当の霊界とは全く違った、単なる想像上の疑似霊界のような世界に引き込まれることになってしまう

 第二には、「瞑想」というものがあるのですが、これも結構、今述べた内容と似たようなところがあって、たいていの宗教の場合、ある一定の教義の世界観の中での、ある一定の言葉やイメージだけを、とにかく一心に心の中に描き続けるとか、長時間、深く考え続けるような瞑想の手法をとっていることが多いのですが、しかし、これはよく考えてみると、本当にある霊界の様子や、本当の真実に基づいた言葉やイメージではなくて、そうではなく実際には存在しない、「霊界」と称する想像上の美しく楽しい世界のイメージや、あるいは、いっけん多くの人々の心を打つような「真実」と称するインチキのきれいごとの名言のようなものを、いつの間にか、あたかも、それが本当のものであると深く信じさせられて、瞑想させられ続けるなんて事態も実際起きないとは限らないので、それゆえ、こうした観点から見る限り、実は瞑想というのも結構危険な要素があるのです。

 たいていの信仰深い人々は、「自分の宗教に限って、そんなことは絶対ない」などと言うことが非常に多いのですが、ところが巷のいろいろな宗教の体験談や、そうした宗教をやめた人々の証言を聞く限り、これは、はっきり言って申し訳ないのですが、多くの人々の実感としては、「嘘でもいいから現実とは全然違う、尊い素晴らしい世界が感じられるだけで、その時の自分は十分幸せだった」とか、「他人はともかくとして、自分がよく考えて選んだ宗教だけは、絶対間違いないと思った」とか、「祈りや瞑想をすると、本当に素晴らしい霊的な体験ができたので、それで自分は絶対正しいと思った」などというような言葉を聞くことが多いのですが、ところが、よく考えてみると、「別に宗教をやらなくても、そんなことは、メルヘンやオタクチックな想像や妄想に浸るだけで、誰でも十分楽しめるんじゃないか」とか、「宗教をやっている人は、みんな自分だけは、絶対大丈夫って言うけど、実際には、やめた後に結構、後悔している人がたくさんいる」とか、「よくよく調べてみると、どこの宗教でも似たような瞑想法が、いくらでもあったりするので、本当は、その宗教の瞑想だけが、特段に優れているというほどのものでは全くなかった」などというような話が、実際には、ほとんどであったりするのです。

 それゆえ私が観察する限り、霊的世界をかいま見るための瞑想と呼ばれるような内容の中には、実際には、本当の霊界をかいま見るのではなく、そうではなく、その宗教独自の世界観に基づいた、単なる楽しく美しいイメージや連想ゲームをしているだけ、というような実態になっているような瞑想というのが、この世の中には、本当は、幾らでもあるのではないか、というように感じています。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2010年12月22日 9:27 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 宗教、道徳 / 瞑想



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