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霊的な観点から見た共産主義思想について Part 5

現実の人間の社会には、様々な性格や能力の人々がいるものなので、そう単純に資本家と労働者だけに分けられるものではないのではないか

 しかし人間のそもそもの根本的な性質として、毎日のようによく働く、そうした働くのが大好きな人もいれば、あまりよく働かなかったり、それほど普通に働くことには興味がない人もいるし、それから同じ人間であると言っても、体が強く、運動が得意な人もいれば、体があまり強くなく、運動もそれほど得意でない人もいるし、また頭の良い人もいれば、それほど頭の良くない人もいるし、それから文学や絵や音楽のような芸術が得意な人もいれば、そうでない人もいるなどというように、そう簡単にすべてがすべて同じ人間であるとは、なかなか言えないようなところがあるわけです。

 さらには性格的に真面目な善良な人もいれば、そうではなく、遊びが好きだったり、また時には、とんでもない悪いことをする人間もいるわけなので、そうしたいろいろな性質や能力のある大勢の人々を、「あいつは資本家なので自分達の敵で、この人達は労働者なので自分達の味方」などというように、なんでもかんでも単純に二種類だけの人間に分けて、「すべての資本家を倒して、労働者のためだけの理想社会をつくろう」とするのは、そもそも最初の段階から無理なところがあったのではないか、ということなのです。

 つまり共産主義の理想では、資本家がいなくなって、全員が同じ労働者になって、みんなで同じ目標に向かって、同じような労働をしてゆけば、本当に素晴らしい幸福な社会ができるなどというように言っていたわけです。

 ところが実際の人間の社会は、いったいどのようになっているのかというと、とてもではないが、すべての人が、みんながみんな同じ労働者の人間などとは全く言えなくて、真面目に働く人もいれば、怠けて、あまり働かない人もいるし、また非常にリーダーシップがあって、多くの人々をまとめるのが上手な人もいれば、あまり人前で目立つようなことや、人をまとめるのが下手な人もいるし、それから物覚えがよく頭の回転の速い人もいれば、物覚えが悪く、それほど頭の良くない人もいるし、また体が丈夫で力が強い人もいれば、体が弱く、あまり力の強くない人もいるなどというように、はっきり言って、そう簡単に一言で、みんながみんな同じ労働者の人間であるなどとは、なかなか十把一絡げ(じっぱひとからげ)に言いきれないようなところがあったのではないか、ということなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2026年1月27日 9:03 PM, 政治 / 知恵、正しさ / 社会、文化 / 経済



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