また、マルクス自身の人生の足跡を調べてみると、多くの人々の一般的なイメージや思い込みとはかなり違って、マルクス本人は、団体の経営や家計のやりくりのような金銭感覚には、かなり問題があったようですし、また先ほど述べたような性格面の問題から、他の人との人間関係や夫婦関係などにも様々な問題があったようなので、実際には、かつて共産主義や社会主義の国々で言われたほどの、それほど高潔な、よくできた人間であるなどとは、全く言えないようなところがあったようです。
ですので、はっきり言ってしまうと、当時のマルクスの思想に関しては、理想や理屈としては、当時の知識人だけでなく、多くの人々の心を動かすような非常に優れたところがあったかもしれないのですが、しかし、そうした学説の細かな前提や、具体的な事例の調査や、実際の学説の有効性などに関しては、彼自身の性格の影響などもあって、はっきり言うと、かなり問題の多いものだったのではないか、というように思われます。
※つまり理想論や革命論としては、多くの人の心を動かせるような素晴らしいところがあったのかもしれないのですが、人格的には倫理観や協調性などに非常に問題があって、また実際に経営をやると、いつも失敗してしまうような人の経済理論を、大きな国レベルでやってしまったために、その後、たいてい、うまくいかない結果になることが多かったのではないか、ということです。
続く・・・
Cecye(セスィエ)
2026年3月14日 10:04 AM, 人生観、世界観 / 政治 / 歴史 / 知恵、正しさ / 社会、文化 / 経済
多くの人々の一般的なイメージとはかなり違って、マルクス自身は、それほど高潔な人格者ではなかったようである
おそらく、そのそもそもの原因は、こうした共産主義思想を説いて、共産主義運動を強く推し進めた「マルクス」という人物の性格そのものにあったのではないか、と思われます。
数十年昔ぐらいまで世界中にたくさんあった共産主義や社会主義の国々では、マルクスは、ただの偉人というよりも、人格的にも非常に高潔な、まるで宗教的な聖人でもあったかのように教えられていることが、とても多かったようです。
確かにマルクスは、現在の経済学の進歩にも大きくつながってゆくような、当時の時代としては、かなり革新的な経済理論を生み出したり、哲学的な推論をしてゆくような非常に優れた理論家や哲学者のような面もあったかもしれないのですが、ところが実際の彼の性格を調べてみると、あまり他の人々との協調性がなく、わりとパッと物事を決めつけては、すぐに怒って、攻撃的な態度で闘争を煽るようなことをしたり、また他の人の意見をあまり聞かずに、何でも独断的に物事を推し進めてゆこうとするような性格であったり、それから意外と非常に見栄っ張りで浪費家で不道徳な一面もあったようです。
ですので、はっきり言うと、まだ経済学が初期の発展途上にあった当時の時代であれば、そこそこ優れた経済学者として認められたかもしれないのですが、しかし、その後の経済学がもっと進んだ時代であったならば、たとえ理屈として、それなりに高く評価されたとしても、実際の経済の現場の研究や調査は、本当にきっちりと正確に行われているのか、また、そうした理論は、現実の社会では、いったいどの程度の有効性を持っているのか、などというような点から細かく追求されてしまうと、おそらく、それほど高い評価は得られなかったのではないか、というようにも思われます。
続く・・・
Cecye(セスィエ)
2026年3月14日 10:03 AM, 人生観、世界観 / 政治 / 知恵、正しさ / 社会、文化 / 経済
現在も世界には、非常に独裁的な政治体制を作って、国民の生の声など、ほぼ完全に封印して、様々な宗教的な理想や、政治的な理想を標榜して、長く政治指導者をやろうとする人物はいるようです。
そして現在の段階では、確かにこの物質世界では、そうした形で非常にがっちりとした、非常に厳しい過酷な政治体制を維持してゆくこともできるかもしれません。
そうした政治体制は、この物質世界では、その人物にとって、とても居心地のよいものになるかもしれないのですが、ところが、やがて時を経て、死後の世界に赴くようになると、そうした政治体制によって、厳しく弾圧し、闇に葬り去ってきた非常にたくさんの魂達に取り囲まれて、逆に非常に厳しい来世の生活を送るようになる可能性もあるようなのです。
再び話は戻りますが、今後、予想されるその人物の魂の人生の流れとしては、この世的には、どの程度の時間になるかははっきりわからないのですが(多分、現在の状況だと、この世の時間では、数十年ぐらいになるのではないかと思われるのですが・・・)、おそらく私の予測では、今後、その人物の魂が、そうした非常に激しい怒りや恨みを抱えた一人一人の魂達にきっちりと対峙して、ある程度の許しを得られるような霊的な状況になるには、その魂自身の霊的な時間の感覚としては、最低でも数百年ぐらいの時間はかかるのではないか、というように感じております。
ですので、確かにこの世の世界では、政治の世界において、非常に過酷な独裁体制を築くことはできるかもしれないのですが、しかし、この世の人生よりも遥かに長い死後の霊的な世界の人生では、そうしたこの世の生き方が大きく災いして、やがて、とんでもない大変な災難になって、その人の魂自身に大きく跳ね返ってくることもあるので、時には、そうした霊的な視点を持つことも、とても大事なのではないか、というように私は強く感じております。
Cecye(セスィエ)
2026年3月4日 4:06 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観 / 宗教、道徳 / 時間と空間の秘密 / 現在のアセンションの状況 / 知恵、正しさ
それでその後、いったいどのようになっているのか、というと、はっきり言うと、その人物の政治的な体制の下では、わりと普通の生活をしていた非常に多くの人々を、かなり無慈悲に厳しく弾圧しては、たくさん投獄したり、拷問したり、殺害したりしていたようなのですが、突然、この世を去ることになったその人物の魂は、どうやら死後の世界において、そうした形でたくさん弾圧して、殺害してきた非常に多くの人々の魂達に取り囲まれて、もう休む間もないくらいに厳しく問い詰められたり、乱暴されたり、責められ続けたりして、かなり大変な状況になっているようなのです。
その宗教の教義によれば、そうした熱烈な信仰をしていた人々は、みんな素晴らしいパラダイスに行けるはずだったのですが、外国で側(はた)から見聞きしていた私から見ても、「あんな奴が神のもとに行けるはずないだろう」「ああいう人間は、あの宗教の信者とか名乗らないでもらいたい」などと強く思うくらいに、かなり厳しい非人道的な弾圧を行っていたようなので、当然のようにそうした人物の魂に天国の扉など開くこともなく、この物質世界の様子に、わりと近い四次元の幽界に赴くことになったようです。
ところが、そうしたこの物質世界にほど近い霊的な世界には、わりと最近まで普通の人生を送っていたにも関わらず、そうした理不尽な政治的な弾圧によって、わりと短期間のうちに、この世を去ることになったために、まだ、この物質世界に非常に未練がある、というか、自分の命ばかりか、大切な家族や友人の命まで、かなり過酷な弾圧や拷問などによって、突然終わらされて、まだ精神的に全く整理がついていない人々の魂達が、非常にたくさんいるような霊的な状況になっていたようなのです。
ですので、その政治的な指導者の魂としては、ある時突然、その人物の人生が、かなり予期せぬ形で終わってしまっただけでなく、その後、そのほぼ直後から、気がつくと生前、その人物が散々不信仰とか、背徳者とか、堕落者とか、反逆者などと見下していた非常に多くの人々の魂達に取り囲まれると、「なぜ、お前はあんなひどい苦しいことをしたんだ!」「なんで俺達同じ信仰者にこんなひどい仕打ちをしたんだ!」「お前、俺に息子や娘に、なんてひどいことをしやがったんだ!」「なんでお前は、いつもこそこそと隠れて、多くの普通の国民の声を全く聞かなかったんだ!」「お前なんか地獄に行けばいいんだ!」「お前など絶対、神のもとになど行けるはずがない!」「元の人生を返せ!」などというような感じで、本当にそれからほぼ休む間もないくらいに、ずっと厳しく責められ続けているような状況になってしまっているようなのです(もっと正確に言うと、時々、隙を見つけて、逃げ出しては、また見つかって、群衆に取り囲まれたりしているような状況でしょうか・・・)。
続く・・・
Cecye(セスィエ)
2026年3月4日 4:04 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観 / 宗教、道徳 / 時間と空間の秘密 / 現在のアセンションの状況 / 知恵、正しさ
今回は、久しぶりに私の最近の文章では、あまり述べていない霊的な内容について、少しだけ述べてみたいと思います。
最近、ある国の宗教や政治の世界では、非常に重要な役割を果たしていた指導者が、突然亡くなったようなのですが、その人の魂は、死後の世界では、結構大変な状況になってしまっているようなので、ここでは、そのことについて、少しだけ述べてみたいと思います。
その人物は、若い時から非常に信仰熱心なだけでなく、政治の世界においても、国民のために非常に熱心に様々な仕事をしてきたようなのですが、だんだん年を経るにつれて、多くの国民とは距離をとるようになり、忠実な側近の人々に守られて、だんだん国民をかなり厳しく弾圧するような非常に強圧的な政治を行うようになっていったようです。
ところが最近、その人物は、かなり特殊な事情で、突然、この世を去ることになってしまったようです。
それでその人物は死後、いったいどのような世界に行くことになったのかというと、その宗教では、その宗教を信じる熱心な信者は、みんな素晴らしいパラダイスに赴くことになっていたようなのですが、ところが現在、その人物の魂は、五次元以上の光の天国のような霊的な世界ではなくて、四次元の、わりとこの物質世界に非常によく似た「幽界」という霊的な世界に赴くことになったようなのです。
※以前は、四次元の上の辺りに、私の文章では「偽光界」と呼んでいた、わりと明るい印象の擬似天国のような世界があったのですが、現在はアセンションの過程で、だんだん、そうした異次元世界は、霊的に薄くなってゆきつつあるので、そうした影響で、普通の「幽界」に赴くことになったのかもしれません。
その霊的な世界は、別に真っ赤な炎の苦しみにずっと耐えなくてはならないような地獄というわけではないのですが、大まかに言うと、突然、何らかの事情で亡くなって、自分が肉体的に死んだことをあまりよく理解できていない魂達や、あるいは、この物質世界に非常に強く未練や執着がある魂達が赴くことが多いようです。
続く・・・
Cecye(セスィエ)
2026年3月4日 4:03 PM, おすすめ記事 / スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観 / 宗教、道徳 / 時間と空間の秘密 / 現在のアセンションの状況 / 知恵、正しさ
ですので、一般に資本主義と言われる国々では、その後、女性や低い納税額の人々や差別的な立場の人々の選挙権をだんだん拡大してゆくことによって、社会的により大多数の、いわゆる労働者的な立場の人々が、政治的により大きな影響力や支配力を持つようになっていったり、また労働者の賃金を徐々に上げていったり、様々な方法で労働者の権利の保護や労働環境の向上を行っていったり、それから失業したり、怪我や病気など様々な事情で働けなくなった人々への生活の保障を行なって、社会全体の福祉の向上を図っていったり、さらには累進課税によって、たくさん収入がある人々への税金を相対的に高くして、少ない収入の人々への税金を相対的に低くすることなどによって、社会全体として、様々な方法で、より多くの人々の生活を向上させ続けるような政策を、少しずつですが、長い時間をかけながら着実に行い続けていったことで、今日のような、そうした百年前と比べると、多くの人々が遥かにより豊かに幸福に暮らせるような社会を築いてきたようなところがあったわけです。
ところが、マルクスが理想とする共産主義や社会主義の政治制度にしてしまった国々では、そうした資本家や経営者の社会的な役割を、ほぼすべて全面的に否定して、なくしてしまったために、その代わりを政府の官僚的な立場の人々が行うことになったのですが、そもそも政治的な計画を立てたり、調査をしたり、管理や命令を行うような立場の役人では、なかには時折、有能な人もいたとは思うのですが、先ほど述べたようなお金の使い方や増やし方や、事業の運営の仕方や、多くの人々の活かし方のような経営的な能力が高い人はあまりいない、というか、そもそも元から、あまり求められていないようなところがあったために、ほぼたいていのケースでうまくいかなくなってしまうことが多かったようなのです。
続く・・・
追伸
最近、個人的にさらにとても忙しくなってしまったために、なかなか記事を更新する時間が取れづらくなってしまいました。
あと普通、社会主義や共産主義というと、こうしたスピリチュアルなものとはかなり遠い、というか、関係ないように思われるのですが、かつての社会主義国では、こうした社会主義や共産主義が、あたかもある種の宗教のような扱いになっていたことからもよくわかるように、結構霊的にはシビアな攻撃的なエネルギーを感じるので、こうした文章は、かなり載せづらいです。
Cecye(セスィエ)
2026年2月28日 1:03 PM, 政治 / 知恵、正しさ / 社会、文化 / 経済
また、大きな企業の経営者であっても、それぞれの人の宗教心や道徳観の違いによって、経営の仕方や従業員への対応の仕方も、かなり違っていたように思われるので、やはりマルクスが言うように、すべての経営者が労働者を奴隷のようにこき使って、搾取しているような、とんでもない人間ばかりであったとは、なかなか言えなかったのではないか、と思われます。
それから時代時代によって、選挙権の範囲がどの程度に制限されていたのかの問題はありますが、基本的に民主政治では、多数決の原理が導入されているようなところがあるので、多額の選挙資金が使えるにしても、ほんの一握りの大金持ちの人々の意向だけで、圧倒的大多数の労働者的な立場の人々の不満や怒りを、それほど大きく封じ込めることができたのかどうか、ということにも、かなり大きな疑問があります。
つまりマルクスが言うような「労働者から搾取して、とんでもない不当な利益を上げる資本家に対して、労働者が団結して、労働者が支配する社会にしよう」というような主張は、確かに労働者の権利を守ったり、労働者の意見を政治に反映させたいというような社会運動としては、全く正しいものであったと思うのですが、その思想の中で、「一握りの資本家だけが、大多数の労働者を一方的に搾取して、こき使っている」「資本家を一網打尽になくしてしまえば、最高の社会になる」というような考え方に関しては、現代と言わず、そうした百年前の時代であっても、かなり過激な誤ったものだったのではないか、というように思われます。
続く・・・
Cecye(セスィエ)
2026年2月20日 9:03 PM, 人生観、世界観 / 宗教、道徳 / 政治 / 歴史 / 知恵、正しさ / 社会、文化 / 経済
現在では、資本主義の国々でも、選挙権の拡大や社会保障の充実や税制の工夫などによって、労働者の権利や政治的な立場は、かなりしっかりと守られるようになってきている
次には、共産主義や社会主義を推す人々が、全面的に否定して、闘争を繰り広げようとしていた、当時、たくさんの資金や株や土地や工場などを所有して経営していた「資本家」、あるいは、経営者などの立場や役割について、考えてみたいと思います。
当時のマルクスが、当時の資本主義が発達途中の社会を調べると、一部の「資本家」と言われる人々が、非常に大勢の労働者をこき使って、工場や農場で労働させて作らせた生産物に、さらにたくさんの儲けをのせて、大量に販売しているように見えていたようです。
しかし、これは経済のことを多少学んだことのある人であれば、現代のような時代であると、誰でもある程度、当たり前のようにわかることであると思うのですが、この世の中にそうした形で「資本家」と完全に言い切れるような人々はほとんどいないし、また、そうした大きな資本を持っている人々であっても、その人自身にしっかりした投資や経営の裁量がない場合には、長い目でみると大きく財産を減らしてしまうこともあるし、さらにはそうした企業どうしのかなり厳しい競争もあれば、以前には全くなかった新しい産業が次々と生まれてくることもあるので、はっきり言って、現代のような時代であっても、また百年以上昔の時代であっても、そう単純に「資本家」と完全に定義できるような人々が、いったいどの程度いたのか、というのは、あまりはっきりとわからないようなところがあったのではないか、と思われます。
※ただし当時の時代には、国王や貴族や大商人のような、かなり長期間に渡って、代々続いている世襲制の非常に少人数の特権階級の人々がいる一方で、人権もあまり尊重されないような、その日暮らしの非常に貧しい人々が大勢いたので、それゆえ、そうした意味では、どちらかと言うとマルクスの言う階級闘争というのは、資本家と労働者の間の闘争というよりも、そうした身分間の格差や差別の問題のように、当時の多くの人々からは感じられていたかもしれないということは言えるようです。
続く・・・
Cecye(セスィエ)
2026年2月18日 9:03 PM, 人生観、世界観 / 政治 / 歴史 / 知恵、正しさ / 社会、文化 / 経済
それから人間の社会と言わず、人間や生き物などの自然のあり方としても、普通、何かやれば、何かやった分だけの(あるいは逆に何もやらなければ、何もやらなかっただけの・・・)成果や結果があることは、わりと当たり前の経験であるようなところがあるので、そこを共産主義的に「頑張った人も、頑張らなかった人も、みんな同じように扱うのがいいんだ」「いっぱい努力した人がいても、それほど努力しなかった人と同じように扱えばいいんだ」「どの人もどの人も、みんな同じ単純な労働をしているだけなんだ」「労働者が偉いのであって、労働者を管理したり、お金の管理をしたりして、経営しようとする人間なんて、全くいらないんだ」などというような考え方で、多くの人々をかなり強制的に一律に管理しようとしても、わりとすぐにうまくいかなくなることが多かったのではないか、というように思われます。
ただ、非常に貧富の差の激しい、貧しい人々が非常に多い社会であった場合には、そうした共産主義の理想に基づいて、一人一人の所有権を否定して、共同所有の社会にすれば、まるで夢のような理想社会になるように多くの人々が感じたかもしれないということは言えます。
しかし、これは、もうすでに大きな社会的な実験を通して、はっきりわかった事実であると思うのですが、そうした共産主義的な理想に基づいて、一人一人の所有権を否定して、共同所有の社会にしようとしても、先ほども述べたように、そもそもの人間や生き物などの自然の性質として、そうしたものを全面否定した社会を目指すことには、元々、かなり無理があったのではないか、ということと、それから、たいてい、そうした形で一人一人の個性や努力の違いを認めない社会にすると、多くの人々が、非常に強く不自由感や不公平感や不幸を感じるようになることが多いだけでなく、その後、非常に大きな社会的な停滞や衰退に陥ることが多かったようなのです。
ですので、共産主義的な形で一人一人の人間の所有権を否定して、共同所有の社会にしようとしたり、あるいは、それぞれの人の自由や努力や個性の違いを強く否定するような社会にしようとしても、決して多くの人々がより豊かになり、幸福になれるような結果には、ほとんどならなかった、ということが言えるようです。
続く・・・
Cecye(セスィエ)
2026年2月10日 9:03 PM, 人生観、世界観 / 宗教、道徳 / 政治 / 歴史 / 知恵、正しさ / 社会、文化 / 経済 / 自然、生命
また同じ物であっても、いつもきれいに整えて使っている人もいれば、逆にいつも汚くして、乱暴に扱って、すぐに壊してしまう人もいるわけですし、それから、それぞれの人の好みや相性や技術や経験などの違いによっても、まるで当たり前のように何が最も良い道具や持ち物であるかということは、かなり大きく変わってしまうところがあるわけです(つまり、単に値段的に高価であるから良くて、値段的に安いからダメとは、なかなか言えないようなところもあるのではないか、ということです)。
ですので、はっきり言って、非常に多くの人々がどん底の貧乏暮らしをしていて、本当に一部の人々だけが、とんでもなく豊かな生活をしているような超格差社会であれば、「一律に多くの人々の所有権を否定して、みんなで共同所有している社会が一番よい」などと考えられたかもしれないのですが、しかし先ほども述べたような人間の生物としての特性から考えてみると、多くの人々が最も幸福に豊かに暮らしている理想社会の姿としては、それぞれの人が、自分の気に入った物や必要な物を、それぞれの人の好みや能力や必要などに応じて、ある程度自由に所有できている(場合によっては、借りる形でもよいのですが・・・)世の中の方が、より理想の社会に近いのではないか、というように、わりと単純に推測されるわけです。
※ただし、その国の社会において、あまりにも多くの人々が、食べたい物も食べれないとか、住みたい所にも住めないなどというような生活に必要な物も、ほとんど手に入らないような社会の状況になっている場合には、できるだけ早く、そうした社会的な問題の解決は必要になるのではないか、と思われます。
続く・・・
Cecye(セスィエ)
2026年2月9日 9:03 PM, 人生観、世界観 / 宗教、道徳 / 政治 / 知恵、正しさ / 社会、文化 / 経済