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国会(立法府)の議員への政治的な評価と、行政府の首相や大臣などへの政治的な評価の違いについて Part 12

 また、よく現在の日本では、「与党の政治家の立場と、野党の政治家の立場は全く一緒である」「政治家にお金が集まること自体がいけないことなのだ」「政治家を、法的に厳しく取り締まるようにすれば、一切の政治とカネの問題は完全に解決するのではないか」というような見方をされていることが多いようなのですが、ところが先ほどから何度も述べているように実際の政治の世界の状況は、そうした多くの人々の感覚とは、かなり違っているようなところもあるわけです。

 そうすると、おそらく現在以上に政党交付金のような国費による政治資金を増やしても、特に野党の政治家からは、「そんなお金は全く必要ない」「税金の無駄遣いだ」などと言われるようになるのでしょうし、また現在以上に政治献金や政治資金パーティー自体を完全な悪として、厳しく取り締まるような政治の制度にしてしまうと、今度は与党の政治家から、「普通の社会と同じように選挙や政治にも、結構たくさんのお金がかかっているのに、どうして全く理解してもらえないのだろうか?」「それでは、地元の有権者の方々と交流するためのお金が全然足りない・・・」、さらに場合によっては、「表向きは全く言えないのだが、これでは帳簿に乗らない裏金でもつくらない限り、大事な政治家の仕事が全くできなくなってしまう・・・」などというような状況になってゆきがちなのではないか、と思われます。

 そうすると国民の立場としては、「主に国会の議員の仕事だけをきっちり行なっていればよい野党の政治家の立場と、それと同時に行政の仕事も、かなりきっちり行なっていなくてはならない与党の政治家の立場では、かなり違っているところがある」、また、「特に行政も担っている与党の政治家が足りない政治資金は、わりときっちりとした透明性のある一定のガイドラインの下であるなら、政治献金や政治資金パーティーのような形で、ある程度自由にお金を集めてもよい仕組みにしておいた方がよいのではないか」というような政治の世界への見方をもつことも、とても大事になってくるのではないか、ということなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2024年9月10日 9:03 PM, 人生観、世界観 / 政治 / 知恵、正しさ / 社会、文化 / 経済



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