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国会(立法府)の議員への政治的な評価と、行政府の首相や大臣などへの政治的な評価の違いについて Part 11

 それでは、現在の日本では、一般に政治とお金については、いったいどのように考えられているのか、というと、最近はかなり少なくなっていたのですが、特に少し前までは、政治家や官僚などの汚職がたくさん起きてきた時代が長かったので、「政治には、できるだけお金がかからない方が、清くて良い政治ができる」「政治家が大金を集めたり、贅沢するのはいけないことだ」「以前の政治改革によって、国費で政治家に秘書をつけたり、政党交付金を出すようにしたので、政治家のお金は十分に足りているはずなのに、いったい何をしているのだろうか?」などというように感じている人々が多いのではないか、と思われます。

 ところが、先ほどから何度も述べているように国会の議員の仕事だけをきっちりやっていればよい野党の政治家の立場と、それと同時に一年を通して、様々な省庁の行政に関わる仕事も、かなりきっちりと行なっていなければならない与党の政治家の立場では、政党や政治家として置かれている立場としては、かなり大きく変わってきてしまうようなところがあるわけです。

 ですので、はっきり言ってしまうと、確かに現在の日本の政治システムでは、野党の政治家であれば、政治資金は、ほぼ十分に足りているか、あるいは、むしろ、かなり余るぐらいの状況になっていたかもしれないのですが、しかし与党の政治家になると、それだけでは政治資金がかなり足りていないような状況になってしまっていたにも関わらず、これまでの経緯から、そうした与党の政治家の事情を、国民に対して、あまりはっきりと説明しづらい政治的な状況になってしまっていたようなのです。

 こうした状況から考えてゆくと、たとえ現在の政党交付金のように政党や政治家に、ある程度の政治資金を与えるような制度はあったとしても、それ以上に政治家が、政治資金を必要としている場合には、確かに透明性のある一定のガイドラインのようなものは、絶対に大事になるとは思うのですが、これまでとほぼ同じように普通の政治献金や、政治資金パーティーのようなものは、ある程度よしとして(要するに政治献金や政治資金パーティー自体を完全に悪いものであるというような見方はしない方がよいということです)、政党や、それぞれの政治家が必要な政治資金を、ある程度自由に集められるような政治システムにしておかないと、はっきり言って、今後もいくら政治改革や政権交代のようなものを行ったとしても、いつまで経っても、これまでとほぼ同じような政治とカネの問題が、ずっと起き続けてゆくようになるのではないか、と思われます。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2024年9月7日 9:03 PM, 予知、予言、未来予測 / 政治 / 知恵、正しさ / 社会、文化 / 経済



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