こうした人間の考え方や行動のパターンから考えてゆくと、要するに一度、何らかの宗教や思想に基づく活動に深く関わるようになると、はっきり言ってしまうと、最初はともかくとして、その途中経過において、そうした宗教や思想の中心人物が、いくら最初の話と全く違うことを言い出したり、やりだしたりしたとしても、また、いくら最初の予言や理想とは、全く違う状況になったとしても、さらに場合によっては、いくら最初の話とは、全く正反対のことを言い出したり、やり出したりしたとしても、なぜか、あまり気にしなくなっていったり、あるいは、逆にそうしたことを批判するような人がいると、まるでそうした人の方が、完全に間違っているかのように非難し出したりするような状況になってゆくことも非常に多いようなのです。
ですので、特にこうした宗教や思想の活動にある程度、深く関わるようになった場合には、時折、少し冷静になって、「最初に聞いていた話や、活動の趣旨と比べて、その後の状況が大きく変化していることはないか」、また「大きく変化しているのであれば、それは十分納得できるような正当な理由があるのか」、それから、「元々、自分が目指していた理想や目的は、その後、十分に達成されたのか、それとも、されてないのか」、また、「最初の理想や目的は、その後、集団として、どの程度達成されたのか、それとも、あまり十分に達成されてないのか」などというようなことについては、できるだけ客観的に見直してみることが、とても大切になるのではないか、ということなのです。
その上で、もし最初の理想や目的とは、あまりにも異なる活動になっているにも関わらず、「どんなに大変でも、絶対にやめちゃいけないんだ」とか、「どんな不正な手段を使ってでも、何が何でもやり遂げなくちゃいけないんだ」などというように、かなり強迫的な心身の状態や、あるいは、かなり盲目的で病的な心身の状態で活動し続けるような状況になってしまっている場合には、できれば、再度、冷静に外部の人と話し合ったり、外部の情報を参考にしたりしながら、そうした集団からは、一度離れることを検討し直すことも、とても大事になるのではないか、というように思われます。
続く・・・
Cecye(セスィエ)
2021年12月27日 9:03 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観 / 宗教、道徳 / 成功論、繁栄論 / 政治 / 現在のアセンションの状況 / 知恵、正しさ / 社会、文化