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霊的、現代的な観点から見た仏教の教えについて Part 31

 それは、いったい、どのようなものだったのか、というと、かなり簡単に手短かにまとめて説明すると、こんな感じになるのですが、おそらく、基本的な食べ物や衣服や住む場所などの衣食住に関しても、また学びや瞑想や集会などの宗教的な修行や布教などに関しても、さらには外部の人々から誹謗中傷されたり、危害を加えられたり、自分達の持ち物を奪われたりすることなどに関しても、あまり大きな危険や不安を感じることなく、はっきり言うと、非常に十分な保護を受けられるような形で、かなり安心して、仏教の修行に思う存分打ち込めるようになっていったのではないか、ということなのです。

 そうすると、最初に釈迦が教えを説き始めた頃には、かなり切実な感覚で感じられた、ちょっと切羽詰まった感じのサバイバル感にも似た、言ってみれば、本当に命懸けで悟りを求めてゆくような感覚や、あるいは、もっとはっきり言うと、時折、様々な事情で上手に食事をとり損ねたり、寝床を確保し損ねたりして、何日もお腹をすかせて、大変な思いをするような目に遭ったり、さらには一歩間違えれば、外敵や害獣などに襲われて、大変な危害を加えられたり、命を奪われて、殺されてしまうのではないか、というような強い恐怖心や警戒心のような感覚が、かなり薄くなっていったのではないか、ということなのです。

※現在の感覚でも、かなりきつい響きに感じられる「外道(げどう)」という呼び方が残っているくらいなので、時々、かなり暴力的な人々もいたりして、特に最初の頃は、結構危険だったのではないか、と思われます。

 

 そうした時代になると、仏教に帰依する人々は、最初に釈迦が教えを説き始めた時代と比べると、かなり大きな余裕と安心感と、また、将来への希望が感じられるような状況に大きく変化していったのではないか、というように思われます。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2021年10月27日 9:03 PM, インド思想、ヒンドゥー教 / 中国思想 / 仏教 / 宇宙文明、古代文明 / 宗教、道徳 / 歴史 / 社会、文化



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