二つめは、これは少し不思議な話になるのですが、実は、そうした人間の生物的な欲求と、知的な欲求の本質というものをよくよく冷静に突きつめてゆくと、最終的には、ある段階で、ほぼ同じような到達点というか、結論に一致してゆく可能性があるということです。
これは、いったいどういうことなのかというと、例えば、「本当においしい物が食べたいと思って、いろいろな食べ物を研究したり、自分で作ったりしていたら、いつの間にか、食べ物の大家のような人間になってしまった」などというように、元々は生物的な欲求の充足を求めていたはずなのに、気がつくと、まるで知的な欲求を十分に満たすような結果になるようなことが起きていたり、また例えば、「本が読みたいと思って、たくさんの本を読んでいたら、いつの間にか、おいしい食べ物の食べ方や作り方のことにも、かなり詳しくなってしまった」などというように、元々は知的な欲求の充足を求めていたはずなのに、気がつくと、まるで生物的な欲求を十分に満たすような結果になるようなことが起きていることが、世の中には意外と多いものなのです。
ですから、これはすべてがすべて、こうしたケースになるとは、なかなか言いがたいようなところもあるのですが、ただ長い年月の間には、人間が一つの生物である以上、生物的な欲求の充足を求めていったとしても、また知的な欲求の充足を求めていったとしても、本当に突き詰めていった場合には、どこかの段階で、結局、ほぼ同じような一つの到達点というか、結論にたどり着いてゆく可能性もある、ということは言えるようです。
Cecye(セスィエ)
2017年2月7日 9:03 PM, 知恵、正しさ