それから、これも結構問題が多いのですが、どの国や民族や地域の人々であっても、いつでもどこでも簡単におおっぴらにできるようなことと、そうでないことがあるものなので、そうした、いつでもどこでも簡単におおっぴらにできるようなことは、誰でも気軽に大きな声で言葉に出して話しているものなのですが、そうではなく、たくさん人がいるような所で話すと、あちこちから文句を言われたり、恥ずかしく感じたり、また場合によっては、自分の身の危険を感じるような内容に関しては、あまり言葉にせずに少し隠すような感じで、小さい声でもぞもぞ話したり、あるいは、かなり遠回しの表現で、外部の人には全くわからないような形で話していることが非常に多いものなのです(そうした言葉の場合、同じような単語や話し方で、しかも、ほぼ同じようなイントネーションなのに、全く違う意味だったりすることもあります)。
ですから、こうしたその国や民族や地域の中での、それぞれの物事や言葉の位置付けによっては、すぐにパッと理解しやすいような言葉もあれば、そうではなく、最初のうちは、何を話しているのかすら、さっぱりわからないようなこともあるなどというように、そうした国や民族や地域の社会の特性をある程度しっかり理解できていないと、なかなかうまくコミュニケーションできないこともあるということです。
Cecye(セスィエ)