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人間の知的な成長のプロセスと、より良いコミュニケーションのあり方について Part 10

⑦たとえ一見、ほぼ同じような物事に関する言葉であっても、それぞれの人の属する国や民族や地域の違いによって、かなり大きく意味やニュアンスが異なってしまうことがある

 七つめは、これも時々、世間で話題になるような話になるのですが、たとえ一見、ほぼ同じ物事に関する言葉であっても、それぞれの人の属する国や民族や地域の違いによっては、かなり大きく意味やニュアンスが異なってしまうことがあります。

 これも幾つか例をあげて説明してみたいと思うのですが、例えば、多くの人々が、ほぼ同じような意味で理解していると思いがちな「世界」という言葉であっても、広い大陸の中で生まれ育った人にとっては、自分の国や民族の人々以外にも、わりと身近な感じで、すぐ隣の国々や民族の人々の様子を思い浮かべながら、「世界」という言葉を考えているのでしょうが、それが昔から、それほど活発に海外と交流がなかったような、海に囲まれた島国のような人々が考える世界のイメージになると、海の遥か彼方や、せいぜい時々見かける外国人や外国製品のイメージの世界となり、それから何十年と外国との戦争や内戦にい明け暮れているような国々の人々の世界のイメージになると、結構、野蛮で荒廃した世界のイメージとなり、さらに自分の国の技術や文化が、たくさんの世界のスタンダードを生み出しているような国の人々の考えている世界のイメージとなると、もはや自分の国が世界の中心で、少しかすんだ感じで、何となく他にもたくさんの外国の国々があるという程度の世界の認識になっているかもしれないということなのです。

 次には例えば、世界に対する「国」という言葉であっても、わりと短い期間の間に、そこの地域の人々が厳しい独立運動を戦い抜いたり、自分達で努力して、政府を形作っていったような国の人々の国のイメージは、できるだけ多くの国民が一致団結して、一緒に盛り上げてゆくような国のイメージになっていることが多いのでしょうが、それが何百年、何千年と歴史があるような国の人々の国のイメージになると、民衆の意思にはあまり関係なく、偉い王様が、その良し悪しはともかくとして、その意思や能力に基づき、ずっと統治し続けているような国のイメージになりがちであり、それから、たくさんの国々が集まった「連邦国」や「連合国」の人々の国のイメージとなると、どちらかというと、そうした大きな連邦国に住んでいるというよりかは、それぞれの小さな国や州や地方に住んでいるという感覚の方が強くなっているようですし、さらには、政府が成立してまもない国に住んでいる人々の国のイメージになると、「国家」や「国民」という感覚はほとんどなくて、どちらかと言うと、自分は、どこかの王国や民族や部族の一員という感覚しか持っておらず、国や国民と言われても、ほとんどピンと来ないことすらあるなどというように、今日の世界でも、多くの人々の「国」のイメージというのは、実際には、結構違っていたりするものなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2016年7月12日 9:03 PM, 政治 / 知恵、正しさ / 社会、文化



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