Light Symbol

人間の知的な成長のプロセスと、より良いコミュニケーションのあり方について Part 6

③たとえ一見、ほぼ同じような物事についての言葉であっても、それぞれの人の個人的な体験や好き嫌いの差によって、実際の意味やニュアンスがかなり変わってしまうことがある

 三つめは、これもよくあるような話になると思うのですが、世の中では、一見ほぼ同じような物事について話し合っているようなつもりであっても、時々、それぞれの人の個人的な体験や好き嫌いの違いによって、現実にそうした言葉の意味やニュアンスが、かなり大きく違ってしまうことがあるということです。

 これも幾つか例をあげて説明してみたいと思うのですが、例えば、一見ほぼすべての人が、同じような感覚で捉えているはずであると考えがちな「人間」という言葉であっても、両親や家族にとても愛されて育った人が考えている人間のイメージは、とても明るく大らかで暖かいものであることが多いのに対して、両親や家族にかなり厳しい感じで育てられた人が考えている人間のイメージは、とても厳しくて、何かにつけ文句を言ってきたり、いじめてくるような少し怖い人間のイメージになっているかもしれないし、また豊かな物に囲まれた都市生活を送っている人の考えている人間のイメージは、わりと穏やかで上品ではあるが、一人一人が適度に距離を保って生活しているような、多少孤立した感覚であることが多いのに対して、かなり過酷な自然環境の中の村社会のような所で生き抜いている人の人間のイメージは、大自然の営みに比べると非常に弱く、ちっぽけであるが、いつもお互いに親切に助け合い、とても気さくで優しい存在として感じていることが多いなどというように、世の中では一見、ほぼ同じような感覚で捉えられていると思われがちな「人間」という言葉の意味やニュアンスであっても、本当は、それぞれの人の間で結構違っていたりするものなのです。

 それから、ここにさらに個人の好き嫌いの問題が絡んでくると、例えば、同じ日本人であっても「納豆」の話が出てくると、そうした納豆を子供の頃から、ずっと食べつけているような人から見ると、「ああ、納豆か。とっても栄養価の高い、おいしい食べ物だよね」ということになるのでしょうが、ところが、それがそうした納豆をまったく食べつけていない人から見ると、「え、納豆。あの匂いや味は、全然受け付けないんだよね」などというように、まるで正反対の反応になってしまうことすら、よくあるのですが、このように、たとえ一見、ほぼ同じような物事を指しているような言葉であったとしても、それぞれの人の個人的な体験や好き嫌いの違いによって、そうした言葉をパッと聞いた時に思い出されるイメージや音や匂いや味や触り心地のようなものは、全く違うことがあったりするものなのです。

 ですから、こうした観点から見る限り、実は、「同じ言葉だから、どの人も全く同じような言葉の意味やニュアンスとして受け取るはずだ」というような考え方というのは、ケースによっては、全く当てはまらないようなところもあるということなのです。

 

 続く・・・

 

 追伸

 先ほど、一時的にホームページが映らなくなってしまったようですが、なんとか無事復旧しました。

 

Cecye(セスィエ)

2016年6月22日 9:03 PM, 人生観、世界観 / 知恵、正しさ



«

»

おすすめ記事

過去の記事