二つめは、これもよく指摘される話になるのですが、明治時代の日本は、海外からの侵略の脅威を受けながら、国内でもあちこちでかなり大きな反対運動が巻き起こりそうな非常に急進的な欧米化路線を突き進んでいたために、はっきり言うと何かあれば、国内では内乱、また海外とも戦争の脅威を抱えている中で、かなり少数の人々が非常に強いリーダーシップを持って、政府を運営するような状況になっていたわけです。
そこで、これは前にも述べましたが、「天皇」という非常に神格化された、ほぼ架空と言ってもよいような宗教的な絶対神のような存在を作って、それを学校教育でまるで本当の神仏のように崇めさせつつ、そうした天皇の権威にぶら下がるような形で、はっきり言うと、幕末以前はほぼみんな下級武士だったような人々が、そうした天皇の権威を盾に政治の正当性を維持して、何とか数十年に渡るような政治改革を断行してゆこうとしていたわけなのです(参考)。
※おそらく、明治初期の段階では、当時の欧米の歴史から予測して、日本が欧米のような近代化を成し遂げるには、数百年程度は十分かかるものと予想していたように思われます。それで大日本帝国憲法には、「永久に・・・」というような表現が多数見られるのではないかと思われます。
その結果、大日本帝国憲法には様々な仕掛けがしてあって、それが内閣がいったい何なのかの説明がほとんどないとか、軍事的なことに関しては、そもそも最初の時点から、ほぼ天皇全権のような規定が設けられているとか、憲法の改正は、ほぼ不可能な仕組みにしてあるなどというような、はっきり言って、今日の日本人の目から見ると、これでは、いったいどこの誰が政治に責任を持っていて、いったいどこの誰が政治を行っているのか、ほぼ全くよくわからないというような憲法の仕組みになっているようなところがあったということなのです。
※昔の大日本帝国憲法では、「天皇は、陸海軍を統率し、宣戦を布告し(戦争を開始し)、講和条約を結び(休戦させる)、外国との条約を結ぶ」と述べられているので、基本的に軍事的なことに関しては、法律的には、内閣も議会も最初から何の権限も持っていません。実際、戦前戦中までは、歴代天皇はすべて日本陸海軍の最高司令官である「大元帥」になっています。
Cecye(セスィエ)