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戦前戦中の「大日本帝国」と戦後の「日本国」の違いについて Part 13

 第十には、これはあまりはっきり言わない人が多いかもしれないのですが、戦前戦中までの大日本帝国が、いくら当時の世界で最新の欧米の制度や技術や文化を取り入れて近代化を行っていたとしても、結局、なんだかんだ言っても天皇制を初めとして、古代から続く日本の延長線の上に国家の枠組みがあったわけなのですが、戦後の日本国では、もしそのままの日本の歴史の流れであれば、おそらく数百年経っても現在の日本のような国家の状態にはたどりつけなかったのではないかと思われるくらい、一気に当時の世界で最新の民主主義や自由主義の国家の枠組みに、かなり一挙に大変化してしまったようなところがあるのです。

 現代の日本であると、これはあたかも戦前戦中の大日本帝国が良かったからであるかのように説明されることもあるのですが、現実には、戦前戦中の大日本帝国はかなり無謀な大戦争の結果、ほぼすべての国外の領土や植民地を失い(結果としては、どこもいずれ独立したと思われますが・・・)、日本人だけでも数百万の死傷者を出し(国外を合わせると、さらにそれ以上・・・)、明治維新以降、国民一丸となって作り上げてきた、たくさんの工場や家屋といった国民の資産を失うような軍事的大失態を犯しているので、これは単純に戦前戦中の「大日本帝国」は、政治的軍事的大失敗によって、その歴史の幕を閉じた、というように理解すればよいのではないかと思われます。

 それでは戦後の日本の繁栄はなぜ起きたのかというと、これは大日本帝国の遺産というよりも、それ以前の時代と違って新たな連合国や国連の枠組みの中で、当時の大多数の日本人としては、ほぼ全く期待していなかった新たな民主主義や自由主義の国家の枠組みに大きく変えてもらったからなのであって、これは単純に当時の連合国の統治の恩恵に属するところが大きいというのが、歴史の実態だったのではないかと思われます(ただし、それ以降の戦後の日本の発展や繁栄は、世界の国々の力ばかりではなく、日本人の知恵や努力によるものも、かなり大きかったものと思われます。

 つまり、もっと単純に言うと現代の日本の平和や繁栄があるのは、どちらかと言うと明治維新以降の大日本帝国の存在の影響というよりも、戦後の連合国による統治、とりわけ当時のGHQによる大日本帝国の解体と、現在のような「日本国」への改革の功績によるものが非常に大きいというのが、歴史の実態だったのではないかということです。

※戦争中、日本の停戦調停が長引いたのは、ひとえに当時の昭和天皇を中心とするような特権階級の人々が、彼らの権力を失うことを恐れたからなので(いわゆる「国体護持」というやつです)、特に彼らの終戦工作を美談化して、英雄視するような必要はないと思われます。

※さらに言うと、もし大日本帝国で唯一神聖視されていた「昭和天皇・裕仁」が率先して、当時の「大日本帝国」の政治体制から、今日のような「日本国」の国家体制に大改革したのであれば、1980年代後半に当時のソ連からロシア連邦への大改革を行ったゴルバチョフ元大統領のように、その政治的な功績を誉め称えられるのは当然であると思うのですが、残念ながら日本の昭和天皇の場合、戦前戦中の大日本帝国の軍事体制を積極的に拡大し(もしくは放置し)、さらに当時の日本の終戦をかなり遅らせて、戦争の被害をかなり大きく拡大させたという点で、もし当時の特殊な歴史的な状況がなければ、普通は政治的に誉め称えられるのではなく、大きく批判されるのが当然だったものと思われます。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2015年7月16日 9:03 PM, 政治 / 歴史 / 社会、文化 / 軍事



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