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職業と人生 Part 35

 二つめは、これは少し不思議な話になるのですが、実は芸能界というところほど、そこにいる人々自身にすら自分が、いったい何に向いていて、何を求められているのか、ということが、よくわかりづらい世界も少ないということです。

 つまり、そうした芸能界を端で見ている多くの人々にとっては、わりと簡単にわかること、例えば、「ああ、あの人は、ああいうダークな演技だとカッコいいんだ」とか、「あの人は主役じゃなくて、脇役で出てくると、すごくいいんだ」とか、「あの人って、どう見ても変な人なんだけど、ああやって話すと、すごくいいんだ」などというようなことが、そうした芸能界にいる人々自身からは、「今度の役は、すごくいいって言われるんだけど、他の人から自分は、いったい、どんなイメージに見えているのかな?」とか、「なんで、こういう役だと自分はハマり役と言われるんだろうか?」とか、「自分としては、一生懸命、真面目にやってるつもりなんだけど、どうしてもみんな、すぐに笑いだすんだよな〜」とか、「自分は嫌だったんだけど、プロデューサーやファンの人達に勧められて、この曲をやったら大当たりした」などというように結構、自分自身がやりたいと思っている内容と、多くの人々が、その人に求めている内容が、かなり大きく違っていることがあるのです。

 その結果、今日も芸能界では、あちこちでいろいろな企画を立てては、「こんな才能のこんなイメージの人が欲しいんだけど、どっかにいないかな?」とか、「この映画やドラマでは、こんな役者が欲しいんで、今度、オーディションをしてみよう」とか、「あの端役の人は、なんか評判がいいようなので、今度、試しに別の番組でも使ってみようかな」などというように、いろいろな姿形や個性や能力や経歴の人々が、あちこちで探され続けているようなので、結局、そうしたたくさんのオーディションに足しげく通い続けたり、あるいは、自分の好みや能力に関係なく、あちこちの仕事を引き受けたりしながら、そうした芸能界の中での自分なりの立ち位置をある程度、正確に見極めていった人は、結果として、多くの人々から、「ああ、あそこで活躍していたあの人だね」とか、「あの映画やテレビに出ていた面白い人だ」とか、「ああ、あのカッコいい(きれいな)人だ」とか、「あの変わった個性の人ね」などというように、その人なりの芸能界での居場所を見つけるようになってゆくようなのです。

※これは、そうしたオーディションを受ける側からは、なかなかわかりづらい話になるのですが、一般にオーディションというのは、単にオーディションを受ける人々の才能や能力の良し悪しや順序を決めるためのものではなくて、そうした様々なオーディションを主催している側のその時々の目的や都合によって、例えば、「今回は、こんな姿形のこんな個性の人が欲しいんだけど、そういう人いないかな〜」とか、「一応、オーディションはするんだけど、今回は映画の興行を成功させないといけないので、主役級の人は、知名度のある人を使うべきだな」とか、「わあ、今回のオーディションはレベルが高すぎて、普通なら絶対通りそうな人でも落とさなきゃいけないや」とか、「この人は、ものすごくいいと思うんだけど、今のうちの事務所の状況だと、別の人の方がいいかな」(つまり、その時に、もうすでに似たような個性の人がいる場合、採れないことがあるらしい・・・)とか、「あの人はすごく才能があると思うんだけど、この仕事だと合わないんじゃないかな」などというように、そうしたオーディションを受ける側の人々の緊張した雰囲気とはかなり違って、言ってみれば、そうした様々なオーディションを主催する側の、その時々の目的や都合に最も合うような人物を選んでいるだけなので(その後の経緯も、また人それぞれなので・・・)、基本的には、学校の入学や会社の入社と同じで、そうしたそれぞれのオーディションの合否を、まるで自分自身の全人格的、全能力的、全運命的な問題のように考える必要は全くないと思います(つまり、たいていオーディションをする側にも、かなり切実極まる、いろいろな事情があることが多いということです)。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2015年5月12日 9:03 PM, 人生観、世界観 / 成功論、繁栄論 / 芸術、美



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