4、「開戦の詔」から推定される戦前、戦中の昭和天皇裕仁の人物像は、戦後の昭和天皇裕仁のイメージとは、かなり違うものだったのではないだろうか
それから、太平洋戦争の「開戦の詔」から推定される当時の「昭和天皇裕仁」という人物の人柄についてなのですが(「終戦の詔」の雰囲気とかなり違うので・・・)、まるで神霊でも乗り移ったかのような、かなり宗教的な表現を多用していることから察するに、当時の裕仁という人物は、現在の日本人の感覚だと、まるで新興宗教の絶対教祖のような立場だったことがよく分かります(これに、例の悪名高い憲兵と特高の活動があったので、当時の日本人は、確かに表向きは、かなり尊敬していたかもしれないけれど、本音は、結構、怖かった、というような感じだったのではないか、と思われます)。
また、世界平和と言いつつ、かなり戦意を高揚するようなことを言ったり、まるで自分の意思や責任ではなかったような口ぶりで、勇ましく戦争の必然性を述べたりしているところから察するに、実際には、平和主義者の仮面を被った、かなりの好戦的な権威主義の人物だったことが推定されるのと、それと戦後の日本において、かなり長く問題になった無責任な官僚的な性格を感じます(当時の官僚の一番のトップだったので、当然かもしれませんが・・・)。
あと、これは戦後の日本人の感覚からは、かなり不思議な話になるのですが、戦前、戦中、日本の内外において、非常にたくさんの戦争犠牲者がずっと出続けたわけなのですが、当時の裕仁にも、また、戦後の裕仁にも、そうした戦争犠牲者に対する心からの後悔や悲しみの言葉を、ほとんど聞いたことがないので(表向きのアナウンスではなく、普通の人間的な感情としてです。普通、悲しくないですか?)、正直言って、表向きのアナウンスでよく言われているような、非常に聡明な人徳のある人物だった、という説明は、かなり怪しいのではないか、と思われます(日中戦争の泥沼化や、太平洋戦争の開戦の決定や、その後の散々な状況の経緯を見る限り、とてもではないが、聡明な君主とは思えないのですが・・・)。
※私も戦争体験者の言葉は聞いたことがあるのですが、細かい話は省略しますが、たいていの人は、「本当に大変だった・・・」、とか、「すごい苦労した」、とか、「あんなひどい話は、できれば誰にも話したくない・・・」、というような人がほとんどだったので、これは表向きはあまり言われないのですが、おそらく、当時、国の中央にいる人達は、なんだかんだ言って、戦争のかなり後半になるまで、結構、良い暮らしをしていたので、かなり感覚が違ったのではないか、と思います。
それと昭和に入ってから、日本の政治情勢や外国との関係が、どんどんめちゃくちゃになっていったことや、戦後の裕仁の、結構、ぶっきらぼうな発言から推定するに(例の何でも「あ、そー」、と答えるなど・・・)、正直言って、この裕仁という人物は、他の人との人間関係において、かなりずれていて、しっかりした信頼関係が築けなかったのではないか、ということが推定されます。
つまり、昭和天皇裕仁というと、現在では、戦後生まれの人がほとんどなので、たいていの人は、「ああ、あの森みたいな所にいる、ボーッとした感じの人ね」、とか、「あんまり発言した所を見たことのない、静かな人ね」、というようなイメージが強いようなのですが、ところが、そうしたイメージは、どちらかと言うと、戦後、象徴天皇制に移行して、天皇の権力がすっかりなくなってしまった後の話なので、どうも実際の戦前、戦中の昭和天皇裕仁という人物の性格は、かなり違ったものだったのではないか、ということなのです。
※戦前、戦中の昭和天皇裕仁という人物についての話は、当時の天皇制は、絶対君主として、国民通津浦々(つづうらうら)にまで神聖視させるような国策のまっただ中にあったので、おそらく、多くの人々の尊敬や信頼を集めるために、かなり意図的に創作されたり、演技されたものが多かったのではないか、と思われます。
※一部で「裕仁」の学者としての業績をことさら誇大に取り立てて説明する人がいるようなのですが、現代日本で、特に学者として、大きな尊敬を集めているような人は、人類や社会に大きな貢献をした、とか、優れた教育でたくさんの優秀な人材を育てた、とか、優れた学識や論評で社会に良い影響を与えた、というような人物がほとんどなので、そうした人々と比べると、特に裕仁という人物が、学者として、特段に優秀だったというような論評は、立場的にかなりの好待遇や予算がつきやすかったこと等を考えると間違っているのではないか、と思われます(あと、研究対象もかなり変わっていましたが・・・)。
※よく独裁国や、あまり良くない宗教の中では、何か問題が起きると、「トップは本当に尊く素晴らしい方なのだが、その取り巻きは、本当にどうしようもない奴らばかりなんだ。あいつらが、みんな悪いんだ」、というような責任転嫁の図式が出来上がることが多いのですが、ところが、しばらく時間が経って、実際の状況が明らかになってくると、たいてい、そうした話はすっかりどこかに消えてしまい、「やっぱり、トップの人もダメだったのか」、とか、「自分達としては、誠心誠意、一生懸命、頑張ったつもりだったのだが、どうやら、すっかり騙されていたらしい」、などと言われるケースが非常に多いようなのです。ですから、単純な政治の結果としては、日中戦争や太平洋戦争は、戦死者が、内外で数百万も出るような大敗戦になっているので、軍人や政治家は悪い奴らだったが、その中心の天皇だけは立派な人だった、というような作り話は、戦後70年近く経った21世紀初頭の現在では、もうそろそろやめるべきなのではないでしょうか。
Cecye(セスィエ)