5、自然界の生き物としての本能的な生き方と、人間の生き方との調和について
さて、そのようにして、人間としての人生を始めると、多くの人々は、いったい、どのような感想を持つのか、というと、これがとても不思議なのですが、自然界の中の生物であると、だいたい、7割から9割ぐらいの部分は、あまり深く考えなくても、何となく次にすべきことがパッと分かる、つまり、この場合は、とにかく逃げないといけない、とか、お腹が空いたので、とにかく何か食べたい、などというように、結構、自然にあらかじめ備わった本能の働きで決めていることが多いのですが、ところが人間の人生だと、「え、お腹が空いているのに我慢しなきゃいけないの?」、とか、「こんな難しい面倒臭いこと、なんで、いつまでもやるの?」、とか、「こんなに眠いのに寝ちゃいけないの?」、などというように、なぜか生活の大部分を、動物的な本能の感覚とはかなり違った集団のルールや一種の自制心に従って生きなくてはならないようなところがあるので、最初は、かなり戸惑うようなのです。
それが人間として生きていて、何転生か、何十転生かするうちに、だんだん慣れてきて、「この場合は、こんな感じだろうな」、とか、「ああ、ああいうタイプの人間に逆らうと、後で、とんでもない目に遭うんだよな」、とか、「こうやって、真面目に働いていれば、まあ普通に生活できるんだよね」、などというように、わりと普通の人間の感覚を理解できるようになるのですが、ところが、そうした体験を積み重ねるうちに、たいてい、どこかの段階で、「いや、やっぱり、こういう生き方は、自分には合わない。別の生き方を探してみよう」、とか、「もっと気軽に楽しく過ごそうよ」、とか、「人間の勝手ばかりじゃなくて、神様の考えに合わせた生き方をしようよ」、とか、「私は、もっと幸せで調和した自然の人間らしい生き方がしたい」、などというように、元々、自然界の中で過ごしていた過去生の時代の様々な経験を思い出して、そうした、かつての自分らしい生き方と、人間の生活とのうまい形での妥協点、というか、調和した形を模索してゆくようになることが多いようです。
Cecye(セスィエ)
2013年12月28日 9:03 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 宇宙文明、古代文明