⑨愛と感謝の生活と、この世的な手堅さや慎重さの重要性について
九つめは、これは、あまり言われないかもしれないのですが、実は、愛や感謝の生活をしていると、「本当は、普通の人間であれば、これくらいのことは、気がつくべきなのではないか」というようなことに全然、気がつかなくなるような、ちょっと訳の分からない精神的な障害のようなものに巻き込まれることがあるので、多少、注意が必要なところがあるということです。
それは何なのかというと、これは世間では、よく「弱き善人」とか、「正直者が馬鹿を見る(騙される)」というような話で言われていることが多いのですが、要するに愛や感謝の気持ちが強い人というのは、時折、そうした気持ちが、ともすれば行き過ぎてしまい、「普通、この程度は、相手のことをもっとよく調べるのではないか」とか、「普通、世間では、こういった種類の人間は、あまり信頼されないのではないか」というようなタイプの人間に対して、はた目に見ると、ちょっと過剰に思い入れて、あまり注意することなく、深く信じ込みすぎてしまうことがあるのです。
ですから私は、たとえ愛や感謝の生活が大事であると言っても、特に自分の仕事や金銭に関わる人物や、自分の人生に多大な影響をもたらす精神的なリーダーや教師に当たるような人物や団体に関しては、そう簡単に世間の評判や名誉のようなものだけで、何でも完全に信頼しきるような態度はとらずに、「これは本当に素晴らしいけど、これは自分には、あまり適切ではないかもしれない」とか、「ここは完全に信頼して良いかもしれないけれど、こういうことは気をつけないといけない」などというように、あまり完全に他人任せにはせずに、自分で調べたり、管理したり、やらなくてはいけない部分は、できるだけ自分できっちりとやるというような態度を持つことが、とても大事なのではないか、と考えています。
Cecye(セスィエ)