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幸福について Part 3

3、「相対幸福」と「絶対幸福」について

 第三には、これはあまり考えたことのある人は少ない話になるかもしれないのですが、人間の感じる幸福には、過去の自分自身の体験との比較や、現在の他の人々の状況との比較によって相対的に幸福感を感じる「相対幸福」と、別に何の比較をすることもなく、自然自然のうちに幸福感を感じる「絶対幸福」の二種類があります。

 つまり多くの人々が幸福を感じるか、それとも不幸を感じるかということの違いには、それ以前の自分自身の体験や他の人々の状況と比較して、それらと比べると、とても幸せに感じるというような相対的な幸福感、つまり「比較幸福」、あるいは、「相対幸福」と、それとはかなり性質が異なる純粋な幸福感、つまり純粋に何かを体験すること自体に幸せを感じる「絶対幸福」の二種類の幸福感があるのではないかということなのです。

 これは多少ややこしい要素もあるので、三つの観点から説明してみたいと思います。

 

①過去の自分自身の体験や現在の他の人々の状況と比較した際に感じる「相対的な幸福感」について

 まず第一には、本当は、これはあまり幸福とは言えないようなところがあるのですが、例えば、とても貧しくて、いつもお腹をすかせているような人にとっては、もう目の前に食べ物や飲み物があるだけで幸せとか、何でもいいから何か食べ物を食べたり、飲み物を飲めたりするだけで幸せということになるのでしょうが、ところがよく考えてみると、こうした際の幸福というのは、それ以前のいつもお腹をすかせているというようなかなり不幸な体験と比較して、食べたり飲んだりできること自体にものすごい幸福を感じているというような状況になるわけです。

 ですから、こうしたケースの場合、逆に言うとある程度豊かな生活が実現できるようになって、いつでも好きな時に好きなだけ食べたり飲んだりできるような生活ができるようになった際には、日頃の幸福感は増える代わりに、相対的に以前に食べたり飲んだりした際に感じられたようなものすごい満足感や幸福感は減ってゆくことになります。

 その反対に、いつも食べたり飲んだりできない状態が再び増えた際には、日頃の幸福感は減る代わりに相対的に時折、食べたり飲んだりする際の幸福感は増えることになるということです。

 同じように周りの他の人々が食べ物や飲み物に不自由しているのに、とりあえず今の自分は、何とか食べ物や飲み物にありつくことができるというような状況でも、たいていの人は、そこそこの幸せを感じることができるのでしょうが、これも現在の自分自身の状況と他の人々の状況を比較して、自分自身の幸福を確認しているような状況であるということが言えます。

 このようにそれ以前の自分自身の何らかの体験や他の人々の状況と比較して、それらと比べると、「とても幸福だ」、とか、「いややっぱり、それほど幸福ではない」、などと感じるような種類の幸福は、どちらかと言うと「比較幸福」、もしくは、相対的な幸福感、つまり「相対幸福」のようなものなのではないかということです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2013年8月9日 9:02 PM, 人生観、世界観 / 知恵、正しさ



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