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幸福について Part 1

 今回から少しだけ幸福について考えてみたいと思います。

 

 たいてい多くの人々は、幸福というと、「何かしている時にものすごく幸せに感じることがある」とか、「昔の大変な体験と比べれば、今の自分はものすごく幸福だ」とか、「毎日とても忙しいので、休みの日にボーッとしていられるだけでとても幸せだ」とか、「恋人や家族といると、とても幸せを感じる」などというようにさまざまな場面でさまざまな形の幸福を感じるようです。

 そうした観点から見ると、とてもではないが、一言で「幸福とは、こういうものです」とはなかなか言えないようなところがあるのですが、今回はそうした幸福について、幾つかの点から考えてみたいと思います。

 

1、人間の幸福は、行き過ぎず、行かなさすぎずの、ちょうど中庸(中道)的なところにある

 まず第一には、これはとても基本的な考え方になるのですが、人間の幸福のあり方というものを見ていると、行きすぎず、また行かなさすぎずというような「中庸」的なところに幸福の原点があるようです。

 もう少し具体的に言うと、まず五感的な幸福について考えてみると、例えば、味覚を例にとると塩辛さであれば、塩加減が濃すぎれば、塩辛すぎてまずいということになるのですが、逆に塩加減が薄すぎても水臭くてまずいということになるので、味覚的に最もおいしい塩加減というのは、塩辛すぎず、水臭くなりすぎない、ちょうど中程の塩加減が最も美味しいということになります。

 これと同じようなことは、甘さに関しても、酸っぱさに関しても、また辛さや旨味に関しても、ほぼ同じようなことが言えるのですが、こうした幾つかの味が混ざった場合には、今度はトータルのバランスで見た旨さの加減が重要になってくるようです。

 次は視覚について考えてみると、例えば、明るすぎても眩しくて目が痛くなってしまいますが、逆に暗すぎると、今度は何も見えないことになるので、最も快適な明るさは、明るすぎず、暗すぎずのちょうど中程辺りの明るさが人間にとって最も心地よいということになります。

 また、これとほぼ同じようなことは、聴覚や嗅覚や触覚に関しても言えるので、要するに人間の感覚器官の感度から見て、刺激が強すぎるものや、逆に刺激が弱すぎるものは不快に感じるか、もしくは全く何も感じられないことになるので、その中間ぐらいのちょうどいい辺りが感覚的には最も心地よく感じられるのです。

 つまり人間の五感に関しては、これは個人差もあるのですが、基本的にはあまり強すぎる刺激のものや、逆に刺激が少な過ぎて何も感じられないようなものはあまり快適とは感じられず、その中間辺りのちょうどいい辺りに最も心地よく、最もきれいで最も楽しい、また最も気持ちよく、最もくつろげて最も快適で楽で、そして最も愉快で面白い、最も美味しいと感じられるような最も幸福な感覚が感じられるポイントがあるのではないかということです。

※よく誤解されやすい内容にこうした「中道」や「中庸」というのが、何も感じない何も考えない状態であるというような認識があるのですが(瞑想的な悟りの一種としては合っていますが・・・)、「幸福論」の観点から見た場合には、これは明らかな間違いになります。つまり人間の自然な幸福感としては、感覚的に行き過ぎず、行かなさすぎずのちょうど中間辺りのちょうどいいところに人間が最も快楽や幸福を感じられるポイントがあるというのが、幸福論的に見た「中道」や「中庸」的な考え方になるのではないかということです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2013年8月7日 9:03 PM, おすすめ記事 / 人生観、世界観 / 知恵、正しさ



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