下級武士出身の明治の指導者達でも、天皇をものすごく偉い現人神(あらひとがみ)に祭り上げると、かなり困難な大改革や大戦争でも、次々と遂行することができた
ところが実際には、天皇自身には、そんなとてもつもない知性も人格も能力もなかったので、やがて、そうした国民の過剰な信用や思い込みが、昭和の大戦争の悲劇を巻き起こすことになってゆくのですが、それでは当時の大日本帝国憲法は、いったいどのような目的で作られたものだったのかというと、これははっきり言うと、本当にがっくり来るような話になってしまうかもしれないのですが、要約すると、こんな感じです。
幕末の志士上がりの当時の明治の指導者達は、アメリカやヨーロッパの進んだ社会を実際に見てきていたので、自分達としては、「日本は、こうすれば外国の植民地にされずに、独立した繁栄した国にすることができる」というようなかなり確固たる信念とプランを持っていたのですが、ところが当時の多くの人々からは、「ああ、あの超田舎者の教養もない、ろくでもない下級武士出身の連中が、またハイカラ(外国風)のみんなが迷惑するような、とんでもないことを始めたぞ」とか、「みんなは毎日、汗水垂らして働いているのに、あいつら、また外国趣味の大金をつぎ込んだ贅沢生活を始めたぞ」などと言われて、ともすれば明治維新どころの話ではなくて、ちょっとしたことで馬鹿にされて反感を買われたり、また時には危害を加えられたり、暗殺や反乱を試みられたりするような、とても大変な状況だったのです。
それで彼らは下積みの苦労を非常によく知っていた人達だったので、一つ大発明を思いつくわけなのですが、それが「自分達の生い立ちは、すっかりみんなに知られているので、急に尊敬してくれ、ついてきてくれと言っても、多分、そう簡単には誰も相手にもしてくれないだろう。ただ、そこで天皇というものを、とてつもない昔からずっと続いている、ものすごい偉い人だという話にでっち上げて、それで自分達が中心になって決めたことでも、みんながそう簡単には批判できず、従わざるを得ないような、その偉い神様の現人神(あらひとがみ)の天皇陛下のご意思という話にしてしまえば、かなり難しい政治や社会の改革でも、何とかもっと簡単に進められるのではないだろうか」というような話だったようなのです。
つまり、その結果、「天皇陛下は、とにかくものすごく偉い神様のような人ということに祭り上げて、明治の元勲達を中心とする当時の政治家や軍人や役人達は、みんな自分達が西洋で学んで、やろうと思ったことでも、何かある時には、何でも天皇陛下の神聖なご意思ということにして、あまり反対が来ないような形でどんどん進めてしまおう」というような大日本帝国の体制ができていったわけなのですが、それがしばらく経って昭和の時代に入ると、いろいろな形で次々と問題が吹き出すようになっていったのです。
一つは昭和の時代に入って、明治の指導者だった人々がみんな亡くなってしまい、本当に天皇自身が、自分の知恵と人格と統率力でいろいろな政治上の問題に当たらなくてはならなくなってしまったということです。
それから、もう一つは、その天皇教があまりにも強力になりすぎてしまったために、だんだん誰も天皇制や天皇自身への直接の批判や提案ができなくなってしまったことです。
※世界の歴史を調べると国家の近代化が、いかに困難であったかということが非常によく分かるのですが、明治期の日本はある意味、天皇制の効用によって大きな大改革を次々と成し遂げたり、かなり勝算の低い大戦争にも次々と勝利することができたのですが、ところが昭和期になると、今度は同じ天皇制の弊害によって国家の改革に次々と失敗し、ほとんどの大都市が焼け野原になるような大敗戦を迎えることになってしまったということです。
Cecye(セスィエ)
2013年7月30日 5:12 PM, コラム