4、もし選挙の際に、毎回、ほぼすべての国民が、ほぼ票の格差のない状態で、必ず、どこかの政治家や政党に投票するようになれば、それだけで現在の政治の問題や混乱の大部分は、たちどころに収拾してしまう可能性もある
第四には、これも少し変わった話になるのですが、民主的な選挙では、基本的に得票数の多い候補者や政党が議席を獲得し、その反対に、たとえ僅差(きんさ)であっても、得票数の少ない候補者や政党は、議席を取れない仕組みになっているのですが、ここでは政治家や政党の都合は、いったん横に置いて、どうすれば多くの国民にとって、最も自分達の意見を反映するのみならず、長期的に見ても、最も「最大多数の最大幸福」が実現できるような政治運営ができるか、ということについて考えてみたいと思うのですが、これに関しては、以下のような二つのことが言えます。
まず第一には、これは単純な話なのですが、基本的に政治は、国民の民意を、できるだけ忠実に反映した政治家選びがなされている必要があるので、そうした点から考えると、現在の日本のように半数近くの人間が、選挙に意味や意義を見いだせずに、毎回、棄権してしまうような状況や、地域によって、一人一人の票に2倍、3倍の効力の違いがあるような選挙というのは、民主政治のあり方としては、かなり問題なのではないか、ということです。
第二には、これも単純な話なのですが、そうすると、もし、これまでの選挙において棄権しなかった人が一切おらず、その上、票の格差の問題も、ほぼない状態であったら、いったいどのような政治が実現できていたのか、ということについて考えてみたいと思うのですが、これは、あくまで仮説の話になるのですが、単純に推測するに、おそらく現在の政治状況とはかなり違って、例えば、政治上で何か問題や混乱が起きると、野党やマスコミではなく、政治家や政党の直接の支持者から、すぐにクレームが来ると思われるので、基本的には、政治上の問題や混乱は、たとえ何かあっても、瞬く間に収拾されるような政治状況になると共に、基本的にすべての国民は、いずれかの政治家や政党の直接の支持者ということになっているので、現在と違って政治家や政党が、何かしようとする時には、かなり正直に、内輪の話も含めて、現在の状況や将来の予測などを、わりと気楽にそのまま話すような(難しい問題も含めて)、かなり風通しの良い政治状況になったのではないか、ということです。
※単純に計算して、現在のように国民の投票率が、だいたい5割前後で、それから少数野党も含んだ二大政党制になっているとすると、政治家や政党の立場からすると、何か問題が起きて、どこかから追求されても、国民全員の中の、せいぜい15パーセントから、20パーセントぐらいの人々からしか支持されていないことになるので、「まあ、少々放っておいてもいいか・・・」ということになりがちなのでしょうが、これが、ほぼ全員投票しているとなると、同じ状況でも、国民の40〜50パーセントの人、つまり10人中、4〜5人の約半分の人は、政治家としての自分や、自分の政党の支持者ということになるので、現在のように、そう簡単に無責任に先延ばしして放ったらかしにするようなことが出来なくなるのではないか、ということです(つまり、自分の敵対者やライバルではなく、自分の家族や身内から、何らかの要望やクレームを言われているような感じになるので、何かあると、すぐに直さなくてはいけないような状況になってしまうということです)。
そうすると、これは非常に単純な結論になるのですが、もし今すぐ日本の政治を良くしたいというのであれば、今まで選挙に行かなかった人も含めて、すべての有権者が、現在、自分が選択し得る選挙区の中で、単に選挙の時だけ投票するのではなく、野球やサッカーのサポーターのような感覚で、選挙の後も、その政治家や政党の活動は、こまめにチェックして、いろいろな行事や催(もよお)し物に参加したり(つまり、かなり気軽な、みんなで集まって楽しむ、宗教色のない、にぎやかなお祭りやパーティーみたいな感じです)、かなり気軽な感覚で、いろいろなボランティアをしたりして、たくさんの人々と意見を交流できるようにしておけば、多分、それだけでも現在の政治は、単純に考えて、5〜6倍は良くなるのではないか、ということなのです。
それというのは、そうした状況になっていると、政治家や政党としては、いつも文句しか言わない野党や、政治に全然関心のない人々にではなく、政治家や政党の直接の支持者や後援者の人々、つまり、言ってみれば、自分達の直接の友人やサポーターの人々から、しょっちゅう、いろいろな意見や励ましや、時には、不満や叱りの声を聞くことになるので、どうしても今までのように何かあると、すぐに国民の声を無視してしまいがちな政治運営というのは、やりづらくなってしまう、というか、どうしても自分のサポーターの人々の意見や考えは、できるだけ早く政治に反映せざるをえなくなってしまうからなのです。
※もう少し具体的に言うと、例えば、政治家(候補者)が、駅で一生懸命演説をしているとしても、「通行人のうち、せいぜい一割か、二割ぐらいしか自分に投票してくれないのかな・・・」と思って演説しているのと、「通行人のうち、4〜5割は、きっと自分の支持者なんだ!」と思える状況というのは、政治家の立場からすると、全然違うのではないか、ということです。
※現代の日本人は、まだ民主主義の歴史が浅いので、一票一票の格差の問題に鈍感かもしれないのですが、基本的にこうした票の格差があるということは、「この地域の人々には、他の地域の人々に比べて、2倍、3倍の人権や政治力を与える」とか、「この地域の人々には、他の地域の人々の半分以下の人権や政治力しか与えない」ということになるので、はっきり言うと、ほぼ明確に、人間の間の身分差を認めるような人権の侵害を行っていることになるので、本当はかなり問題なのではないか、ということです。
Cecye(セスィエ)
2012年12月5日 9:10 PM, 政治