今回から今まで、あまり詳しく触れてこなかった「愛」について、何回かに渡って、考えてみたいと思います。
1、この地上の世界のいかなる愛も、神仏、あるいは、他の人々や生き物達から、自分自身が、いかに深く愛されているか、ということの愛の自覚から始まってゆく
まず第一に大切なのは、基本的には、この地上の世界のいかなる愛も、神仏、あるいは、他の人々や生き物達から、深く愛されていることの愛の自覚から始まるということです。
これは、いったい何のことなのか、というと、よく世間では、「あの人は、とても優しい愛のある人だ」とか、「あの人は、いつも意地悪ばかりするので、全然愛のない人だ」というような話が、よく聞かれることが多いのですが、それもこれも元をたどると、その人自身の魂、つまり、その人の生まれる前からの過去生での体験や、その人自身の生まれた生い立ちにおいて、「どれだけ他の人々や生き物達から愛された体験があったか」、あるいは、「どれだけ神仏のような霊的な存在達から愛され、護られているような体験があったか」というような、はっきり言うと、かなり外部からの事情に強く影響されてしまうようなところがあるということなのです。
ですから平均的に見ると、多くの人々や生き物達から愛され、優しく大切に育ててもらった人や、神仏からの愛や優しさや加護を強く受けた感覚の強い人ほど、より愛深く優しい、他の人のことを思いやるような人格になってゆきやすい、ということが言えるのですが、その反対に多くの人々や生き物達から常に傷つけられ、無造作に扱われ、 放ったらかしにされ続けた人や、宗教的、あるいは、道徳的な厳格さや罪悪感や羞恥心や忍耐心のようなものばかり押し付けられたような人は、残念ながら他の人々や生き物達に対して、より厳しく冷淡で、よそよそしい態度をとりやすい、というような精神的な傾向性があるように見受けられます。
そうすると単純な因果律から推測する限り、わりと厳しく冷淡で、人付き合いの荒い人の子供や子孫には、同じような、わりと厳しく冷淡で、人付き合いの荒い性格の人が出てきやすくなり、またその反対に、わりと暖かく優しい、理解力や包容力のある人の子供や子孫には、同じような、わりと暖かく優しい、理解力や包容力のある人が出てきやすい、というような何十年、何百年にも渡るような人から人への影響の連鎖があるということが考えられるのですが、そうした愛の影響の連鎖と、愛に反するもの、つまり憎悪や冷淡さの影響の連鎖とのぶつかり合いの中で、何百年、何千年の歴史の中で、少しずつ、少しずつですが、多くの人々や生き物達が、真実や愛の側につき、真実や愛を押し流す努力をし続けてきた結果、だんだんと良くなってきたのが、今日の地球の姿なのではないか、ということなのです。
ですから私は、もし、この地上の世界を、より愛や優しさや思いやりに満ちた幸福な世界にしてゆきたいと願うのであれば、まずは自ら自身が、身近な人々や生き物達に対して、いったい、どれだけ優しい愛に満ちた行為をするか、あるいは、自ら自身が、いったい、どれだけ神仏とも、この宇宙の創造主とも言われる存在に対して、愛に満ちた行為をするか、ということがとても大切なのではないか、と考えると共に、やがて、そうした影響の連鎖の延長において、この世界すべてが愛の世界、そして、幸福の世界になってゆくのではないか、というように考えております。
Cecye(セスィエ)
2012年11月22日 9:01 PM, おすすめ記事 / キリスト教 / スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観 / 宗教、道徳 / 愛について / 教育 / 知恵、正しさ